学習を多分に含む刷り込み

 私たちそれぞれの「ふるさと」がもつ独特の特徴は「帰属」と「所有」にあります。自分がどこに帰属してきた、どこのメンバーだったかを辿るなら、最初の帰属が家族、家であり、その次が「ふるさと」なのです。私の「ふるさと」は私が帰属する「ふるさと」なのです。そして、私が記憶として所有する最初の生活世界が私の「ふるさと」であり、その風土、文化、生活を私たちは体験したのです。つまり、私が記憶の中で帰属し、記憶として所有するのが「ふるさと」なのです。また、「ふるさと」は拡大された家族です。そして、「ふるさと」という記憶の中身は私の初体験が凝縮されて集まり、それらが積み重なったものなのです。

 「ふるさと」記憶の重要な構成要素の一つが「幼馴染」です。それは親、兄弟、血縁者と違う初めての他人でありながら、私と親しくなった間柄の友人たちなのです。「ふるさと」の自然環境、社会・文化環境と並んで、「ふるさと」を構成する欠かせない要素が幼馴染なのです。

 動物の場合の刷り込みは修正不可能なものがほとんどですが、人の学習はいつでも修正、訂正が可能です。学習は知識の学習であり、知識は修正可能だからです。では、「ふるさと」の何が修正可能で、何が修正不可能なのでしょうか。知識としての「ふるさと」は修正可能なのですが、私の体験記憶としての「ふるさと」はその体験を忘れない限り、修正することはできません。

 では、なぜ体験記憶は修正不可能なのでしょうか。誤った記憶は可能ですし、その誤りを訂正して正しい記憶に直すことはできるのではないでしょうか。私たちは歴史の訂正を何度もやってきました。でも、それができるのは記録であって、記録の訂正はいつでも可能なのですが、個々の記憶については記憶への解釈変更はできますが、記憶自体を変更することはできません。

 私の初めての生活世界は月並みですが、家族の世界です。そして、その次が家族の世界を含んだ「ふるさと」世界です。私が子供時代の記憶として思い出すのはこの「ふるさと」の世界です。ですから、そこには私の初めての体験が凝縮されています。それが私の「ふるさと」の記憶です。

 初体験には個々の体験だけでなく、初めての習慣化された体験も含まれます。私たちの日常体験はすぐに習慣化されます。学習によって適切な行動パターンの技術習得が行われ、体系化され始めます。それらの獲得技術の集合も「ふるさと」記憶を増やすことに貢献しています。

 こうして、私たちはいとも簡単に「故郷と異郷」を区別できるようになります。