故郷へのそれぞれの接し方:微妙で、多様な心的態度も実は…

 輪廻転生から抜け出し、ゴールは浄土だと説くのが仏教だとすれば、誕生というスタートを見事に担ってきたのが故郷ではないのだろうか。人のスタートを支えているのが故郷、ゴールが浄土というのがごく普通の日本人仏教徒なのかも知れない。

 とはいえ、人には誕生の記憶も、死の記憶もない。だが、子供時代の記憶を誕生に結び付けて考える人がほとんどである。死に近づいていく記憶は朦朧の度合いが増していき、それを思い出す余裕などまずない。誕生からの記憶と、死までの記憶は随分と違っていて、人が記憶として思い出すのはほぼ前者の場合だけである。その上、故郷を懐かしく思い出し、回想に耽るのは死が近くなってからで、死に至る記憶をしっかり留めおくのではなく、誕生からの幼き記憶を追想するのである。

 「故郷(ふるさと)」は高野辰之作詞、岡野貞一作曲による文部省唱歌だが、「子供時代の自然の思い出」、「父母や友人の今の暮らし」、「故郷に錦を飾ること」が歌詞に組み込まれていて、それが私たちの模範的な故郷観を形成してきたようで、さすが文部省唱歌である。島崎藤村の「椰子の実」の歌詞も、椰子の実と自分の比較から、望郷の念の強さが詠われ、故郷への典型的な反応となってきた。

 ところが、室生犀星の『抒情小曲集』の「小景異情」となると、故郷への屈折した想いが表出している。ふるさとは遠く離れて、思い出し、悲しく歌うべきもので、たとえ異郷で乞食(かたい)に落ちぶれても、帰って来るべき場所ではない、という主張は唱歌の「故郷」とは随分異なっている。だが、その違いは故郷のもつ表と裏のような関係に由来している。作者が自らに満足しているかどうかが故郷への姿勢や態度となって表れている。成功評価は故郷を肯定的に、失敗評価は故郷を否定的に見ることが「故郷」と「小景異情」に表現されている。それは石川啄木の「ふるさとの山にむかいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」、島木赤彦の「信濃路に帰り来りてうれしけれ黄に透りたる清菜の色は」が健全な故郷肯定組なのに対し、寺山修司「ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し」は犀星の「小景異情」の立場に似ていながら、さらに屈折している。金子兜太の「父母ありきおいて且つ生き父母ありき」も決して懐かしい故郷ではなく、寺山の屈折とはどこか通じているのかも知れない。

 懐かしい想い出の詰まった故郷に錦を飾るのと、懐かしい故郷は離れた地から哀しく思い出すのとは随分違っているように見える。だが、それは成功した人生とそうでない人生との違いに過ぎないと単純に割り切ることはできない。故郷はなかなか曲者で、一筋縄ではいかない。兎に角、人それぞれの故郷観、一人の人にも自分の境遇、状態に応じての「私だけの故郷」があり、それぞれが違っていて、さらに、常に変化している。