良寛は禅僧なのにその和歌には念仏がよく登場します。
良寛に 辞世あるかと 人問わば 南無阿弥陀仏と 言ふと答えよ
草の庵(いお)に 寝ても覚めても 申すこと 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
何が共通点かと探すなら、禅宗も浄土真宗も経典を丁寧に読みながら、その内容を理詰めで理解するというやり方ではなく、座禅を組み、念仏を唱えるという身体行為を伴って悟る、救われることを目指しています。理屈や知識を使って理性的、形而上学的に世界や人間を理解するのではなく、直観や信念、そして信仰に基づいて魂の解脱や救済を実現しようとする点ではよく似ているのです。
仏教もキリスト教もその創始者を考えれば、宗派など何の意味もありません。釈迦は禅宗だったか、門徒だったかなどナンセンスで、滑稽な問いですし、キリストは当然ながらカトリックでもプロテスタントでもありませんでした。
良寛が出家した理由は幾つか推定されていますが、定かではありません。でも、出家した彼はしっかりと禅の修行を積むことになります。修行に専心し過ぎたのかどうかわかりませんが、その修行の結果が正に良寛自身です。良寛の才能は宗教実践や思想の展開にではなく、文学や書道に発揮されました。その文学とは和歌、俳句であり、そして書なのですが、それらは感情や情緒の表出が中心であり、知識や思想を正確に述べるものではありません。和歌や俳句によって仏教の各宗派の違いを正確に表現することなどできません。詩によってカトリックとプロテスタントの違いを表現することなど、そもそもどんな詩人も考えない筈です。
科学理論が完全であれば、議論の必要はなく、解けない問題は基本的にないことになっています。でも、理論が不完全だと、その穴を埋めるために解釈や説明、そして物語までが生まれることになります。莫大な経典はそのようなものと考えることができます。宗教の創始者であるキリストやブッダが特定の宗派に属していたなどということは毛頭なく、不完全な宗教理論の不備が解釈を許し、そこから解釈の違いが生まれ、無数の宗派が生まれたのです。科学理論は経験的であるゆえに、完全な理論は定義上ありません。でも、宗教理論は経験を越えていますから、完全な理論があっても一向に構いません。でも、そんな完全な宗教理論を見たことがありません。となると、理論でわからない部分は信仰、信念で埋めることになりますが、それらに寄与し、準じるのが文芸です。詩、和歌、俳句、音楽、絵画、書を通じて感覚的に信仰を表出することによって、人々に訴えることになります。この文芸による表現は文字による説明と違って、とても直観的ですが、その分正確さに欠けます。残念ながら、文芸は宗派の違いを正確に描き出すことはできません。
こうして、良寛が文学に長じていて、権威や伝統にとらわれない性格を持っていたことから、彼にとっての宗教実践は自ずと宗派を超えていたということになります。宗教は滑稽なことだらけです。「神と子と聖霊が一体」とは一体どうすれば可能なのでしょう。お経の数は一桁程度なら微笑ましいのですが、その数が莫大過ぎて方便と言い張るのは滑稽でしかありません。それでも人は真面目に信仰に生きようとします。それは滑稽ではありません。でも、沢山の偶像を見境なく拝むのは自然崇拝と違ってやはり少々滑稽です。