今の日本は観光客が多い。とりわけ外国からの観光客が目立つ。観光は旅の一側面。故郷を離れる「旅」は、「生存の旅」、「命令の旅」、「楽しみの旅」があるが、観光とは自発的な楽しみの旅のことである。
「観光」の語源は中国の『易経』の「観国之光(国の光を観る)」、つまり他の国へ行って、良い点を見て学んでくるという意味。観光丸(かんこうまる)は、1855(安政2)年、長崎海軍伝習所練習艦としてオランダから江戸幕府に贈呈された軍艦名。観光旅行等の「観光」は、後にこの船名からとった言葉。かつての修学旅行は正にこの意味の観光だった。観光の意味は次第に変質し、今では別の場所に行き、そこで遊び、景色を堪能し、非日常を味わうという意味になっている。
旅の歴史を紐解けば、まずは「生存の旅」。人々は食糧や生活の場を求めて移動した。それが大昔の人々の旅。その後、大和朝廷の登場で生存の旅は減り、「命令される旅」が出現する。支配者と被支配者という構図ができ、支配者たちには「領地に出向く旅」、被支配者たちには「都へ税金を納めに行く旅」が始まる。さらに支配者層の中から、自由意志による「楽しみの旅」が普及し始める。
観光の始まりは平安時代中期、最初はお参りの旅。一番古くは「熊野詣」。ここは険しい山間部で、現在も神の宿る聖地として敬い崇められている。室町時代になると、信仰の中心は伊勢神宮へと移る。さらに多くの庶民が観光にでかけるようになったのは、江戸時代。国内の争いの時代が終り、庶民が平穏な生活が送れるようになったからである。江戸時代は各地に関所が設けられ、通行手形がないと通れず、旅は容易ではなかった。だが、お参りについては、基本的に手形発行が認められていた。何人かでグループをつくりお金を積み立ててお参りに行く仕組み「講(こう)」ができ、御師(おし)という伊勢神宮を布教する人達が考え出し、各地を募集して回った。これが火付け役となり、伊勢参りが大流行。まさに、旅行代理店の元祖。
世界に目を向ければ、ヨーロッパ人が大規模な航海を行い、あちこちで略奪や搾取の限りを尽くした時代が大航海時代。15世紀から半ばから17世紀半ばまで続き、ポルトガルとスペインが主な略奪者。一方、巡礼は日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地や聖域に参詣し、聖なるものにより接近しようとする信仰活動で、どの宗教にも今でも存在する。
山や海に親しむことを非難する人は稀である。山に登り、海で泳ぐことは快楽の追求とは思われない。私自身、山に登れば、その絶景に心打たれ、清々しい気分に満たされる。だが、よく考えて見れば、それも快楽追求の一つ。山に魅了され、遭難も厭わずに山に登り続けるのは欲求のなせる業。世間は山登りや海遊びを悪しき快楽とは言わず、痛飲や暴食、博打やセックスは悪い快楽と分類してきた。快楽の善悪は倫理が口出しした結果。いずれにしろ、旅、観光、そして自然に親しむことは食欲や性欲と同じように快楽なのである。