すれ違う二つの事柄

 フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』は不思議な本で、読む度に違う印象をもつのである。「学問」と「科学」が同じ概念ではないことを知らされるのだが、その学問もやはりフッサール風の色がついていたように思う。彼は、誰によってどのように自然が「数学化」されてしまったか、「世界がすべて数値によって表現できる」ことによって何が失われたかを仔細に検討し、それが自然の真の姿を隠蔽したことを糾弾する。数学化や数値化が悪の権化のように扱われることに快感をもつ人と嫌悪感をもつ人に大きく分かれることを実感したことも忘れられない。
 科学の進歩によって、世界はすべて数学的に説明できるという信憑が一般に広がったとフッサールは考えた。科学史はこの理解をそのまま真とはしないだろうが、彼はそのことが私たちの生の意味というものを侵すことになってしまったと判断し、学問は意味世界を排除し、絶対的に客観的な世界を説明するものとなってしまったと理解したのだ。このことは、たとえば医療などみればよくわかる。ある医者からすれば、病気の原因となっているものが根絶されることが科学的に正しいのだから、そこに患者の希望など聞き入れる余地はない。末期ガン患者が、完治を望まず、せめて苦痛のない余生を送りたいと考えたとしても、それは医療の敗北を意味することになる。これは極端な例だが、学問というのは、多かれ少なかれ、こうした「客観性」を追及するあまり、人間的生というものをないがしろにしてしまう傾向がある。これがフッサールのいう諸学問の危機の一例なのである。そもそも人間の生活をよくしたいという動機から生まれたはずの学問が、なぜ真理それ自体を目指し、そして人間の生活をないがしろにしてしまうことになったのか。それがフッサールの課題となった。このような主張が本当だとは誰も信じないだろうし、一面の正しさはあっても、それは科学の危機ではなく、科学をつくり、それを使う人間の危機なのではないかと考える人が多いのではないか。
 ガリレオ的な自然の数学化によって、新たな数学の指導のもとに自然自体が理念化されることになる。つまり、自然自体が数学的多様体になるとフッサールは捉えた。近代科学の誕生によって、あらゆるものが数値化できることがわかると、長さや重さだけでなく、それは匂いや明るさにまで及ぶ。フッサールによれば、こうして私たちは自然が数学的法則に基づいてできあがっているものだと誤解することになった。まったく別の石を同じ「1」個と考え、これを二つあわせれば「2」個になる、と私たちは考えるが、そもそも同じでないものを同じものとして扱うことも、私たちが勝手に決めたことに過ぎない。フッサールによれば、単位と数値は実は人間が生活世界をより生きやすくするために考え出した約定であるにもかかわらず、ガリレイ以降の近代科学は自然がそれ自体で数学的であると決めつけてしまった。フッサールはその原因を測定にみる。より正確な測定という欲望によって、絶対的な測定など不可能であるにもかかわらず、自然それ自体は完璧な数学体系であると考えてしまうのである。そして、フッサールは「ガリレイは、発見する天才であると同時に隠蔽する天才でもあるのだ。」と嘆く。この一方的な決めつけはどこから来るのだろうか。フッサールの執念だけを感じてしまうのは私だけだろうか。
 生活世界は科学に先だって、人類にとっていつも存在していたし、それが科学の時代になってもまた、そうした在り方を続けてきた。そもそも人間の必要に応じて世界を把握してきたのが科学なのであるから、自然が絶対客観的なものだという自然主義的態度を疑い、それを生活世界へと還元する必要がある。その課題は現象学によって遂行される。要するに、客観的自然という考えはエポケーされ、すべては超越論的主観性における確信構造として捉え直される。そうすれば、科学における世界の説明も一つの確信構造となり、また、意味的世界を扱う本質学も、確信構造を記述するものとなる。つまり、すべての科学はこの確信構造を取り出すという方法によって一元化されることになる。すると、意味世界と事実世界と、どちらが真の世界なのかなどという対立は消えることになる。こうして、ヨーロッパ諸学の危機は克服される。
 このような目論見によってヨーロッパ諸学の危機は克服できるというのがフッサールの立場なのだろうが、そもそも最初から危機はなく、不完全だったに過ぎないというのが一般的な見解で、不完全な知識をより完全にする試みは相変わらず続いていて、その活動ゆえにフッサールが抱いた問題も生まれたのだという主張も成り立つだろう。ここまでがフッサール現象学的な批判の解説。一見するとわかりやすい内容なのだが、本当にそうかどうか判断するために次の全く別の視点からのまとまった解説を読み、その上で二つの異なる見解について考えてみてほしい。

解析幾何学の意義は何か?
 世界の中の運動変化を表現する言語としての幾何学は「自然の数学化」に不可欠で、それは「幾何学の代数化」、つまりは解析幾何学によって可能になった。それはガリレオから始まり、デカルトの解析幾何学を通じて可能になった。ユークリッド幾何学も解析幾何学も、自然を表現する言語であるが、自然が幾何学的だという主張ではない。
 1637年にデカルトは、「我思う、ゆえに我あり」と唱え、自らの哲学の核心を(ラテン語ではなく)フランス語でわかりやすく書いた『方法序説』を出版する。これは近世合理主義哲学の基礎を築いたとされる書物だが、序説はあくまでも序説で、その後に大部の科学論考が三つ続く。これらの科学論考は試論と呼ばれ、『光学』、『気象学』、『幾何学』の三つから成っている。このうちの『幾何学』は座標を使って幾何学の問題を代数的に解く仕方を述べたもので、「解析幾何学」を創始した重要な書物である。
 ギリシャ時代に既に無理量の発見があったが、それが「実数」の発見とは必ずしも一致しないことに注意したい。これは「次元へのこだわり」と呼ばれるものである。例えば、面積A1 :面積 A2= 長さa1 :長さa2の場合、同種の量の比と,それとはまた別の同種の量の比との間で比例式をたてることはできても,それらの値だけに着目した無名数を「A1」などと書くことにして,それに関する比例式
「A1」:「A2」=「a1」:「a2」
を立てることは、私たちにはできても、彼らにはできなかった。また、
面積A1 :長さ a1 =面積 A2 :長さ a2
というような変形は、(面積と長さの比という,ギリシャ的にみると全く意味のないものになるために)許されなかった。
 要するに、ギリシャの数学では、一般的な意味での実数の概念がなかったし、それに伴って一般的な意味における実数の商や積の概念もまたなかったのである。しかも、この数学が17 世紀においてすら公認の学問的論証に使える最高の理論だったということを十分わきまえておかねばならない。
 デカルトの『幾何学』の成果の一つは、記号を使った代数学の完成。前世紀末のヴィエト(Francois Viete, 1540-1603)の『幾何学的作図の標準的概観』の画期的なアイディアをさらに徹底し、デカルトは定数をa, b, c, d,…で、変数をx, y, z,…で表わし、二つを区別した。さらに、デカルト古代ギリシャ以来の伝統だった「次元へのこだわり」を取り払ってしまう。つまり、長さという量を二つ掛け合わせると面積になり、三つ掛け合わせれば体積になるが、面積と長さを加えたり、面積と体積を加えたりすることは意味がないものとして、それまでは固く禁じられていた。デカルトは巻頭で「幾何学のすべての問題は、作図するために必要ないくつかの直線の長さを知りさえすればよいということに容易に還元することができる」と述べた後で、加減乗除および累乗根の作図法を述べている。そして単位を導入して、何次の式でも直線上の長さとして表されるとした。これによって古代ギリシャの次元の束縛から離れることが出来たが、これこそが近世数学誕生の瞬間である。
 この融通無碍の数式表現法の完成と密接に関連している、もう一つ重要なことがある。どんな曲線も式で表すことができ、その式を分析することで曲線のすべての性質が明らかにできる、と彼は考え、いくつもの曲線を取り上げて分析をしている。曲線y2 = 2y – xy + 5x – x2のような表記法が可能なのは、xが色々な値をとると、それに対応してこの式を満たすようなyの値が決まるからである。このような記号法によって「変量(変数)」の考え方が初めて可能になったのである。
 古代ギリシャ以来、フェルマーも含めて、幾何学における式は「同次式でなければ意味がない」と考えられていたが,この呪縛を解いたのがデカルトである。デカルト幾何学的文脈においてでさえ、辺、面積、体積などの区別を問題にせず、数そのものを研究した。
 17世紀全般にデカルトフェルマーによって解析幾何学が導入され、ヴィエトにも既に幾何と代数の融合の試みが見られる。18世紀のオイラーの『無限解析入門』(1748)では現在とほとんど変わらない扱いになっている。
 デカルトのこの認識の後、数学にはたとえば関数の概念が生れ、やがてそれをグラフで表わすという考えも生れてくる。しかしこのようなことは,同次的な量(実質的には今日の実数にかなり近づいたもの)があって初めて生れたものである。その事情をみるのには、例えば、y = x3 + x2 + xなどという方程式の右辺は、このままでは、体積と面積と長さとの和というおかしなものになって、グラフはおろか、式自体が意味をもたない。しかも実際の歴史においては、(量の同次性を考えに入れた)本格的なグラフの使用は、デカルトの時代からまたしばらく時を経た、おそらくは18 世紀の或る頃以後に始まることなのである。量の同次性の問題は,微分積分学の誕生にも深いつながりをもっている。ニュートンユークリッドの『原論』と共に、デカルトの『幾何学』を愛読し、特に後者を最もよく理解した人の一人とされていることなども、ここで十分考えてよいことである。

 若きフッサールは数学を研究したのだが、上記のデカルトたちの関心とフッサールの関心が違うことに注目するなら、「自然の数学化」というスローガンのもとに何が明らかにされるべきかについての問題の立て方の違いが明瞭に表れている。数学的に世界を表現するにはどうすればよいか、という問題と、世界が数学的に表現されたら世界は変質されるのか、という懸念は、随分と異なる位置にある事柄である。「数学化」の追求とその結果がもたらす影響への配慮とを忘れないことを肝に銘じるべきだろう。そして、これら二つが独立の問題ではなく、密接に繋がっていることを忘れてはならない。