私が生きる世界(4)

5 幾何学の大いなる野望:点
 ユークリッド幾何学の野望は「点」に秘められ、「点」に込められている。[1]大袈裟に言えば、点がその後の私たちの生活世界を運命づける最も重要な鍵を握っていたのである。点を使って世界の様々なものを表示することができる故に、自然を数学的に表現できるのであり、それが幾何学のもつ威力なのである。虚空でさえ、点を使ってその場所やサイズを表現できる。サイズのない点が一様に存在する幾何学的な空間を想定することによって、それをモデルにして世界の中の対象とその変化を線や面を使って表現でき、それが座標系の導入によって、関数を使ってさらに的確に変化を描くことができるようになった。

5.1ユークリッド幾何学の企み:点の意義
 ユークリッド幾何学には二つ重要な事柄がある。一つは定義の最初に登場する「点」であり、もう一つは公準の最後に控える「平行線の公準」である。点に満ちた世界がその後の数学研究と自然研究のすべてを支配することになるなどと誰が想像できたろうか。虚空でさえそれを表示する数学的な点に満ちている。点の次元は0であり、それゆえ、点は場所もサイズももたない。点は素粒子や原子とは根本的に違っている。
 点は無定義語の「部分」を使って、部分のないものとして定義される。それは点が大きさをもたないことと同じである。そして、その点を使って線が定義され、線から面が、さらに図形の定義に至ることになっている。幾何学的な対象を構成する出発点が点であり、それは原子論の原子とは違って、部分がない、サイズがないものであり、したがって、物理世界には存在できないものである。

5.2解析幾何学:言語としての数学
 幾何学が物理世界を描く言語として使われるのは解析幾何学の成果そのものである。自然の数学化は自然の幾何学化で始まり、それは幾何学の解析化によって古典力学として達成された。解析幾何学デカルトの『幾何学』に始まり、表象装置としての幾何学の特徴をもつものだった。点や線、図形は数によって表現され、量が数で表現されることは代数的な計算が「数が何を指しているか」を考えることなく、自由にできることになった。[2]

[1] 点のない幾何学が非決定論的な世界では必要となる場合が多い。逆に古典的な決定論的世界では点の遍在が不可欠である。後述参照。
[2] これもデカルトの大きな業績である。面積と体積の掛け算が無意味と考えるのではなく、面積を表す数と体積を表す数は掛け算ができると考えたのがデカルトだった。