二つの対比:点と零、そして、量と質

 ユークリッドの『原論』は「点とは部分のないもの」という点の定義から始まる。その点がサイズを持てば、その半分のサイズがあり、それは元のものの部分だから、点には部分があることになり、定義に反する。それゆえ、点にはサイズがない。ユークリッド幾何学はサイズのない点からなる幾何学で、点を集めて線が、線を集めて面が、さらには多様な図形がつくられ、それらの間の関係が定理として証明されることになる。

 『原論』の出発点は奇妙に映る。サイズのないものは存在できないし、存在したとしても感知できない。サイズのない点も知覚経験できない。だが、サイズのある点から始めると、数学と物理学が協同できなくなり、経済学や遺伝学のモデルもつくれなる。ここにユークリッドの格段に優れた慧眼を見出すことができる。サイズのない「点」がすべてのものを表現する基礎になっている。その後、点は実数と対応することから幾何学の代数化が進み、いわゆる解析幾何学デカルトらによって生み出される。空間内に遍在する点は空間内の対象の位置や運動変化を表現するのに使われることになった。

 当初は点の効力は図形だけ、つまり図の部分だけだったが、地と図の両方に効力が及び、図形とその空間の両方が考察されることになる。さらに、任意の次元の空間へと拡大され、位相幾何学へと進む。こうして、「点」の役割と効力が拡大し、点によって対象が構成され、それが表現され、それが測られるというモデルが確立していく。これが力学モデルの基本として使われ、古典的な時間、空間と、その中での運動変化の記述が、点からスタートする表現装置(=実数)によって成し遂げられることになる。

 一方、零の発見はインド数学の優れた功績で、次のように表現されている。

 

「かくして零の発見、単なる記号としてばかりでなく、数としての零の認識、つづいては、この新しい零という「数」を用いてする計算法の発明、これらの事業を成就するためには、けっきょくインド人の天才にまたなければならなかったのであった。」 (吉田洋一、『零の発見』、岩波新書、p.20)

 

 この引用の中には二つの零の発見が述べられていて、それらは次のようにまとまられる。

<記号(空位)としての零>

 位取り記数法では、空位を表す記号が必要になる。3と30の違い、30と300の違いを表現しなければならない。位取り記数法は数字を入れる位置が指定されているため、そこに何かの数字をいれなければ記法が完成しない。30の0、300の00が必要となる。このような意味での零の用法はエジプト、バビロニア等の古代文明の中で見られる。

<数(演算の対象)としての零>

 演算の対象としての零が最初に発見されたのがインド、3+0、3・0が3+5,3・5と同じように計算されるには、0は5と同じ数でなければならない。インドで零は他の数と同じように計算できる数になり、真に数の一つとなった。

 零と同じように点についても、その二つの意味を考えることができる。記号としての点と、図形としての点である。零は記号としての発見の方が遥かに早く、インドでも数としての零が最初から存在していた訳ではなかった。だが、『原論』の定義の最初にあるように、点は幾何学的な対象としてまず登場する。それが記号として認識されるのはデカルト以降の解析幾何学においてであり、対象の位置を表現する記号として重要な役割を担うことになる。表示するための記号としての点と存在するものとしての点は零の二つの意味と対応しており、後に点と数との対応が明示的になる出発点となっている。

 

 「量から質への転化、質から量への転化」といった謂い回しが20世紀の中葉の日本では流行していました。ヘーゲルマルクス弁証法唯物論が盛んに議論され、「量が弁証法的に止揚されて質に転化する」といった表現が横行していました。そんな疫病のような流行が終わり、今となってはいずれも懐かしい昭和の語彙、謂い回しとして残響のように聞こえます。

 ところで、量と質は異なるもので、量は数学的に表現でき、質は直接に感じとられるものというような区別が受け入れられていた感があります(「質量」はmassのことで、quality and quantityではない)。量とは数によって表すことができるもので、身長や体重、国土や都市の広さ、山の高さ等々、様々な量があります。一方、質は感覚的な色や匂い、製品の品質等々、一般には数的な表現ができない、あるいはそれが困難と思われていたものです。量は数的表現に馴染み、質は感覚的なものというのが昭和の常識でした。

 では、量は数によって自動的に表現できるのでしょうか。そんなことができたら、人類の歴史はすっかり変わっていたでしょう。「重いこと」と100kgとはまるで違います。量をどのように数的に表現するかの工夫と努力が知識を生み出し、今日の文明を生み出したといっても過言ではありません。「数量化」などという単語に惑わされてはなりません。数と量はまるで異なる概念です。量を扱う数学が幾何学、数を扱う数学が算術や代数、これらが異なる数学であるというのがギリシャ時代の常識でした。

 質が数で表せないというのも嘘です。水質も品質も測ることができ、等級さえ与えられています。大抵の性質は比較することができ、それゆえ良質なものと悪質なものの区別ができ、それを数によって表現できるのです。

 量を数で表現すること、そして表現されたものを自由に演算可能にすること、この二つが幾何学の代数化であり、それを可能にした一人がデカルトでした。量も質も数で表現するには同じように工夫が必要で、量=数でも、質≠数でもなかったことに注意する必要があります。

 同じ種類の量しか比べることができないというのがギリシャ数学のもう一つの常識。ですから、ギリシャには量の積がなかったし、「数とは量の比のことである」というオイラーの見解からは、数の積は存在しません。それゆえ、量の追放が純粋数学の成立には不可欠でした。数概念の確立に至る歴史は、ギリシャ以来数学における最も重要な概念の一つであった量という概念が抹殺されるまでの歴史だったのです。量という外的世界とつながる概念が追放されたことと純粋数学という概念が成立したこととは同じことだと捉えることができます。19 世紀に入ってからの数学の「算術化」運動は、すべての数学は算術に還元できるという思想に基づいていて、量概念が駆逐されたのもこの運動の一環だったのです。デデキントの仕事(「切断」による実数体の定義、および自然数論の研究)やクロネッカーの主張も算術化運動につながるものでした。

 

 これまでの説明から、点と零、量と質の間にはどのような関係があるでしょうか。