点と零

 ユークリッドの『原論』(Euclid, Elements)は「点とは部分のないもの」という点の定義から始まる。その点にサイズがあれば、そのサイズの半分のサイズがあり、それは元のものの一部分だから、点には部分があることになり、点の定義に反する。だから、点にはサイズがない。それゆえ、ユークリッド幾何学はサイズのない点からなる幾何学である。点から始まり、点を集めて線が、線を集めて面が、さらには面から多様な図形がつくられ、それらの間の空間的な関係が定理として証明されることになる。

 『原論』の出発点は奇妙に映る。サイズのないものは物理的に存在できないし、存在したとしても私たちには感知できない。物理的に存在せず、それゆえ、知覚経験もままならない。だが、サイズのある点から始めると、数学と物理学が協同して世界を探求することができなくなり、経済学や遺伝学のモデルもつくれなくなる。ここにユークリッドの格段に優れた慧眼を見出すことができる。サイズのない「点」が、すべてのものを表現する基礎になっている。その後、点は実数と対応することから幾何学の代数化が進み、いわゆる解析幾何学デカルトらによって生み出される。空間内に点が遍在するため、空間内の対象の位置や運動変化を表現するのにそれら点が使われ、対象はいつでもどこでも確定した値があるということになった。

 有限の点しかない幾何学は無限の点、それも連続した点をもつ幾何学とは随分異なっている。点のない幾何学は考えたこともないような幾何学であり、それは非ユークリッド幾何学より想像しにくい。点のない幾何学は点ではなく、領域を原始的な存在論的概念とする幾何学ホワイトヘッドが時空の幾何学ではなく、出来事の理論として考え、研究が始まった。

 当初は点の効力は図形だけ、つまり図の部分だけだったが、地と図の両方に効力が及び、図形とその空間の両方が考察されることになる。さらに、n次元、無限次元の空間へと拡大され、位相幾何学へと進む。

 このような4段階で「点」の役割と効力が拡大し、点によって対象が構成され、点によってそれが表現され、点によってそれが測られるというモデルが確立していく。これが力学モデルの基本として使われ、古典的な時間、空間と、その中での運動変化の記述が、点からスタートする表現装置=実数によって成し遂げられることになる。

 

 一方、零の発見はインド数学の優れた功績。それは、次のように表現されている。

 

「かくして零の発見、単なる記号としてばかりでなく、数としての零の認識、つづいては、この新しい零という「数」を用いてする計算法の発明、これらの事業を成就するためには、けっきょくインド人の天才にまたなければならなかったのであった。」 (吉田洋一、『零の発見』、岩波新書、p.20)

 

この引用の中には二つの零の発見が述べられていて、それらは次のようにまとまられるだろう。

<記号(空位)としての零>

 位取り記数法では、空位を表す記号が必要になる。3と30の違い、30と300の違いを表現しなければならない。位取り記数法は、数字を入れる位置が指定されているから、そこに何かの数字をいれなければ記法が完成しない。30の0,300の00が必要となる。このような意味での零の用法は、エジプト、バビロニア等の古代文明の中でそれぞれ独自の形で見られる。

<数(演算の対象)としての零>

 演算の対象としての零が最初に発見されたのがインド、3+0、3・0が3+5,3・5と同じように計算されるには、0は5と同じ数でなければならない。インドで零は他の数と同じように計算できる数になり、真に数の一つとなった。

 零と同じように点についても、その二つの意味を考えることができる。記号としての点と、図形(あるいは幾何学の対象)としての点である。零は記号としての発見の方が遥かに早く、インドでも数としての零が最初から存在していた訳ではなかった。だが、『原論』の定義の最初にあるように、点は幾何学的な対象としてまず登場する。それが記号として認識されるのはデカルト以降の解析幾何学においてであり、対象の位置を表現する記号として重要な役割を担うことになる。表示するための記号としての点と存在するものとしての点は零の二つの意味と対応しており、後に点と数との対応が明示的になる出発点となっている。まず対象として認識され、それがさらに別の対象を表示するための記号として使われる、これが点の歴史である。