鵺がグロテスクで滑稽にさえ見える理由

 慈円は自らの史書のタイトルを『愚管抄』(愚管=つたない意見、私見の抜粋記録)と卑下しながらも、冥顕の世界観と道理による史的展開を説き、中世思想を生み出したのですが、それが能や歌舞伎によって時間をかけて具体的に表現されて行きます。既に冥顕の認識論として集合論との比較を略述したのですが、今回はより具体的に既述の「鵺」に的を絞って、冥界の不自然で、異常に見える対象と顕界の自然で、正常と思われている対象との違いについて考えてみましょう。答えを先取りすれば、ゴジラやゾンビは不自然な冥衆で、ジョーズや恐竜は自然な顕衆と言っても構わないのですが、ゴジラやゾンビが「不自然」に見えるのは私たちがそれら冥衆を顕界で見ているからなのです。

 私たちが知っている三角形を考えましょう。三角形はノートや黒板に書けるように、二次元の平面のユークリッド幾何学の対象です。ところが、地球のような球面にも三角形を書くことができます。北極を頂点にして、赤道上の二点を決めて、それら三点を結ぶなら、とても大きな図形が出来上がります。それは球面上の三角形に見えますが、内角の和は二つの底角が共に直角(赤道と子午線は直交する)ですから、180度を越えます。実際、この三角形は各辺が外に膨らんでいて、随分と太っています。球面とは反対に、窪んだ平面上に三角形を書くと、その三角形の各辺は凹んでいて、内角の和は180度に達しません。どちらの三角形も二次元のユークリッド平面ではグロテスクな形をした図形で、誰もそれらの図形を三角形とは言いません。その上、球面上の三角形は内角の和が180度を越えてしまうだけでなく、その球面上で与えられた直線に平行な線を引こうとすると、一本も引けないこともわかります。そもそも球面上に引く直線とはどのような線なのか考えると、平面の直線ではないことがわかります。この球面はユークリッド的でない、つまり、三角形の内角の和が180度を越える非ユークリッド幾何学のモデルの一つなのです。

 ユークリッド平面に非ユークリッド的な図形を描くと、その図形はユークリッド平面では奇妙な形の図形として表現されます。ユークリッド平面をもとに考えると、球面上の三角形はグロテスクな図形で、平面の三角形とは異なる図形になります。これと同じようなことが冥界と顕界の事柄や現象にも言えるのではないでしょうか。冥界の対象を顕界に置いてみると、その対象は奇妙、滑稽、不思議に見えるのです。

 このように考えてくると、冥顕に関するこれまでの議論への私の不満はある程度解消されると思われるのです。「ユークリッド的な世界=顕界」と仮定するなら、「非ユークリッド的な世界=冥界」と考えることができ、顕界に住む私たちが見る冥界の神や怨霊は、平面で見える太った三角形と同じように見えるではないでしょうか。なんとも単純なカラクリですが、これは意外に辻褄の合う説明なのです。

 ユークリッド的な世界でつくられた非ユークリッド的なモデルをユークリッド的な世界で知覚すると、モデル内の対象は歪んでいるように見えるのです。それと同じように、冥界の対象を顕界で見ると、グロテスクで滑稽でもある姿に見えるのです。それなら、冥界の対象を冥界で見ればいいのですが、顕界の私たちにはできない相談です。