「時間」や「空間」は不変的(絶対的)、それとも可変的(相対的)?

 「物理的な文脈」とは広義の物理系のことですが、その物理系は質量、電荷、エネルギーなどの物理量をもっています。物理量自体は物体に固有の属性、つまり、物体がもつ物理的な性質だと考えられています。 一方、空間や時間は私たちが自然現象を理解し、表現するための枠組み、概念と考えることができます。そして、物理量のように自然界にそのまま実在している対象や属性、つまり、端的に「もの」や「物の性質」ではないというのが古典的な時空概念に共通した特徴です。そして、物理量は相対的、可変的であり、時空は絶対的、不変的というのがかつての常識でした。

 さて、相対性理論は次のような革新的な主張からなっています。

 

(1)今まで「絶対的」だと思われていた「空間」と「時間」は、「相対的」である。

(2)今まで「相対的」だと思われていた「光速」は、「絶対的」である。

 

 時間や長さ(=空間)はいつでもどこでも同じ性質をもっているのではなく、物理系という文脈、状況に応じて異なる、つまり相対的だというのが(1)の主張です。一方、時速100㎞で走る列車から発した光と止まった列車から発する光の速度は、文脈が異なれば、異なるのではなく、つまり相対的ではなく、どんな文脈でも光速度という物理量は絶対的で、不変だというのが(2)の主張です。「絶対的」は「文脈独立的(不変的)」と同じであり、「相対的」は「文脈依存的(可変的)」と言い換えてもいいでしょう。ニュートンの「絶対空間」や「絶対時間」を思い出す人がいるでしょうが、光速度は相対的、時間と空間は絶対的というのが古典力学の(ほぼ誰もが自明と看做してしまった、誤った)主張でした。

 相対性理論の本には「空間が曲がっている」という表現がよく出てきます。これは「幾何学的空間が曲がっている」ことを意味しているのではありません。幾何学は数学の一部門ですから、物質とは無関係です。重力場で光の進路が曲がることを「空間が曲がっている」と表現しているだけのことです。相対性理論の時空間は、光伝播の経路(「測地線」)によって仮想的な目盛りが付けられています。この時空間は、幾何学的な空間ではありません。この曲がった「物質的空間」を抽象化したものが非ユークリッド幾何学のモデルに対応していて、そのモデルの空間が「曲がった」という比喩的な表現の意味なのです。

 歴史的に考えれば、物理的空間と数学的な幾何学的空間は深い関係をもってきました。古代エジプトでは毎年ナイル河の氾濫で畑が破壊され、一面の砂地に変わりました。そのため、砂地からもとの田畑の区分けを再現するため、土地の測量(測地)が必要になりました。そのために開発された測量技術を数学的に抽象化し、体系化したのがユークリッド幾何学です。ガウスは、

 

ユークリッド幾何学が実際に地球上の空間のモデルなのかどうか、

あるいは、三角形の内角の和が実際に180度に等しいかどうか、

 

を実証的に確認するために、自ら大掛かりな測量を行いました。そして、彼は物理空間が非ユークリッド幾何学的な可能性があることを見出したのですが、無用の混乱を避けるためにその結果をあえて公表しませんでした。当時、ユークリッド幾何学は絶対的真理として誰も(当然、ニュートンもカントも)疑うことはなかったからです。

 ところで、ユークリッド幾何学の平行線公準を証明しようとする試みは、19世紀まで誰も成功しませんでした。1824年ガウスは知り合いのタウリヌスへの手紙で非ユークリッド幾何の可能性について述べています。翌年J・ボヤイが公理を満たさない幾何学の可能性に気づきます。1829年ロバチェフスキーがこのモデルを作り、「虚の幾何学」と命名しています。今では非ユークリッド幾何学はJ・ボヤイとロバチェフスキーが同時期に発見、構築したことになっています。これが出発点となって、非ユークリッド幾何学の理論とモデルがユークリッド幾何学と同じように研究されるようになります。

 相対性理論が物理学の説明理論として説得力をもつには非ユークリッド幾何学とそれの物理学への応用が不可欠だったのです。