パラダイムシフトと冥顕論

 「科学革命」はイギリスの歴史学者バターフィールドが1949年に使った用語で、コペルニクスケプラーガリレオ、そしてニュートンらによる物理学の大変革を指します。これを拡張したのがトマス・クーンで、彼は科学上の「パラダイムシフト」という意味で「科学革命」を使っています。

 そこで、クーン風にバターフィールドが言う科学革命、つまり17世紀の物理学のパラダイムシフトを振り返ってみましょう。天動説と惑星の円軌道という二つの主張を前提にした場合、惑星の運動を説明するために考え出されたのが「周点円」の導入でした。それでも運動が説明できない場合は周点円の周点円を導入したのです。プトレマイオスはこれらの試みを集大成し、『アルマゲスト』を書きました。そして、これがコペルニクスの革命的な理論が登場するまで規範的な天文学書として広く使われたのです。

 コペルニクスプトレマイオスの主張を詳しく調べ、その問題点を地動説によって克服しようとしました。その結果は彼の死後に刊行されましたが、人々からは無視されたのです。天体観測による正確な天文表はコペンハーゲン近くの天文台でティコ・ブラーエによってつくられましたが、その観測データをもとに天文学を大きく変えたのがケプラーです。天体の運動はデータから三つのケプラーの法則にまとめられました(『新天文学』(1609)、『世界の調和』(1619))。

 ガリレオがいなければ、ニュートンの力学は生まれませんでした。彼は振り子の法則、落体の法則を発見し、球の実験等を行ない、理論と実験の両面にわたって物理学を一新しました。また、彼は等速運動の法則も発見しています。彼の主要著作『二つの科学についての対話』(1638)では等速運動の法則と落体の法則を結びつけ、放物線を描く軌跡の証明を行なっています。さらに、彼は望遠鏡を改良し、多くの天体観測を行ないました。

 デカルトガリレオの等速運動の法則をニュートンの運動の第一法則(慣性の法則)に一般化しました。ガリレオの研究にこのデカルトの成果が加わり、それがニュートンの力学の研究に統合されていくのです。ガリレオデカルト、そしてニュートンの合作が古典力学だと考えることができます。

 ニュートンは『プリンキピア(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica)』を1687年に刊行しています。その中で彼は現在ニュートン力学あるいは古典力学と呼ばれている物理学を展開しました。ニュートン物理学の基本となるのは、「運動の三法則」、「重力の法則」、「絶対空間と絶対時間の存在」です。

 ケプラーガリレオの考えをまとめ、物理世界のさまざまな部分の記述を普遍的原理から論理と数学を通じて与えることがニュートンの仕事でした。彼はこれらの原理を明らかにし、そこからケプラーガリレオの主張を運動法則と重力の法則から演繹できるような数学システムをつくり出しました。ニュートンが後世に残した遺産は演繹的(数学的)科学の概念そのものです。『プリンキピア』で展開された世界の完全なシステムは以後の物理学の基本枠組となりました。

 これが「科学革命」と呼ばれる歴史の概略で、アリストテレスの自然学からニュートン古典力学へのパラダイムシフトです。私たちは科学革命以前の世界観を体験していません。私たちが常識的に「自然(nature)」という時の世界はニュートン的な古典的世界のことで、アリストテレスの自然学の世界でも、非古典的な量子力学の世界でもありません。

 量子力学をベースにした冥顕の世界を既に考えましたから、アリストテレスの自然学をベースにした冥顕の世界はどのようになるか興味をもつ人がいる筈です。まずは、顕界。重いものほど速く落下するという世界ですから、その世界の具体像の作成は意外に厄介です。そして、次に冥界を考えるという順番になります。また、普通のサイズの世界と天文学的サイズの世界に分けて考えてみるのもよいでしょう。