我流の哲学史雑感(13)

バークリーの唯心論
 唯心論的な観念論はバークリー(George Berkeley 1685-1753)に始まる。バークリー以前の観念論は、人間の精神活動から生じる観念を実体的なものと捉えており、それを個人の精神活動のなかに閉じ込めることはなかった。観念的なものはそれ自体が普遍的な存在システムとして、個々の人間の心を超えて実在している。ところが、バークリーはそのような観念的な実在を個々の人間の心の中に閉じ込めた。彼によれば、どんな実在も心的なものである。私たちが自分の外部にある物質的な存在と思っているものは、実は私たち知覚したものに過ぎない。私たちは自分の知覚に基づいて、対象の色や形を知るが、それは私たちの心の中に知覚されているのであって、心の外にあるのではない。私たちが知ることができるのは、知覚として心の中に現れたものだけである。
 色や形などの第一性質も位置や関係といった第二性質も、私たちの心が知覚によってつくり出したものである。バークリーは人間が対象を認識する過程に注目し、人間が知覚しているのは対象のもつ性質に過ぎず、対象そのものを知覚しているわけではないと主張した。対象そのものは私たちの知覚を超えたものである。ロックも人間の知覚は外界からの作用によって引き起こされると考えたが、彼は外界の物質そのものは直接知覚できないと考えた。私たちが知りうるのは、色や形といった外界の物質が持つ性質だけである。ロックはそこでとどまったのだが、バークリーは一歩進んで、心の外に心から独立した物質的な対象など存在しないと主張した。つまり、物質を否定し、この世に実在するのは心の中の世界だけなのだと宣言したのである。
 この主張が哲学上いかに厄介な問題を孕んでいるかは、やがてカントが「物自体」を巡って延々と議論を展開したことでもわかる。つまり、人間の認識過程にスポットをあてて議論をしていくと、人間の知覚作用における対象の意義が明瞭に浮かび上がってくる。近代的な認識論へと道を拓いたのはデカルトだが、彼は考える実体としての精神と、延長を持つ実体としての物体との二元論を取り、両者の関係については、厳密な議論を展開しなかった。ロックは精神と物質との間に橋渡しをしようとしたが、デカルトと違って形而上学には興味がなく、とりあえずは対象としての物質そのものを棚上げした上で、人間の認識作用を経験論的に解明しようとした。バークリーはロックの後を受けて、人間の認識作用を考えていくうちに、知覚は対象のもつさまざまな性質を人間の立場から捉えることだと考えるようになる。そうすると、知覚の対象に実体性を付与する必要はなくなり、対象そのものの実在を否定することになったのである。
 それにしても、バークリーの主張は余りに極端で、同時代人の評価は芳しくなかった。もし外界の物質が個人の心の産物であるなら、個人が寝ていたり、あるいはそれを意識していないときには、その物質は存在していないことになる。こうした非難に対してバークレーは次のように答えた。神は常にあらゆるものを知覚している。もし神が存在しないとすれば、物質というものは個人がそれを知覚するときにのみ存在するといった気まぐれな現れ方をするかも知れない。しかし、実際には神によって常に知覚されているがゆえに、それはいつでも存在するのだと。バークリーは神を人間の認識作用の集合的なシンボルとして使い、個々の人間の認識を超えた、共同主観的な存在として神を捉えている。物質的な存在を、神の心の中の産物として位置づけるなら、唯物論にこだわる必要はなくなる。
ヒュームの懐疑論:自我の否定
 デイビッド・ヒューム(David Hume 1711-1776)は、ロックが始めた経験論的なアプローチを究極まで突き進める。彼は実体が虚構であることを暴露し、さらに人間の精神活動を支えている実体としての自我の存在まで否定した。ロックは実体の概念そのものを否定しなかった。ただ、彼はそれを私たちが対象を認識する際に、さまざまな現象の背後にあって、その基体となっていると考えられるものに人間が便宜上与えた名称であって、それ自体が客観的なものとして存在するかどうかは知ることができないとした。バークリーは一歩進んで、認識の対象となっているものが客観的に独立した存在であることを否定し、すべては人間の心の中で起きているに過ぎず、したがって、存在するのは人間の心のみであると主張した。この限りでバークリーは、心の実体性を信じていが、ヒュームは人間の心から実体性まで剥奪した。彼は心の存在を否定したのである。彼の主張はデカルト哲学への強烈なアンチテーゼである。ヒュームは人間の経験の基礎に知覚を置く。ロック以来の経験論の伝統に立ち、ヒュームはその知覚を印象と観念とに分ける。印象は私たちの感覚として現れるもので、迫力を伴った知覚であり、すべての経験の源となる。ロックの第一性質の知覚に似ているが、ヒュームはそれをより厳密に定義した。観念は印象の再現あるいはコピーとして現れるものである。したがって、それは人間の心の作用に基づく。このうち記憶は印象の再生として現われ、印象により近いものだが、印象に比べれば精彩に欠けている。観念が複合したもの、つまり複合観念は、印象に直接似ている必要はないが、印象と全く関係を持たない複合観念はない。例えば、私たちが翼の生えた馬を想像する場合、私たちはそれに対応するような直接的な印象をもたないにかかわらず、想像上のその動物を構成する要素はすべて、既知の印象あるいはその再現としての記憶からもたらされる。これら印象と観念とを、ヒュームは人間の認識作用の構成要素として措定し、それを人間の認識の源として例外なく適用する。ヒュームにとっては、どんなに高度な精神作用も印象とその再生としての観念に帰着する。さらに、彼はどんなに高度で複雑な観念も、それは構成要素としての個々の観念に分解されると考えた。そして、それらの観念は必ずそれに対応する印象を背後にもっている。したがって、どんなに抽象的な観念も、その中に個体的な要素を中に含んでいることになる。
 印象について、ロックはそれを直接には知ることはできないが、客観的に存在すると考えられる外部の物質が人間の心に働きかける結果生じると考えた。バークリーは、印象(感覚)や観念とは人間の心の中にのみ生じるものであって、それに対応する外部の客観的実在を想定するのは無意味だと主張した。ヒュームはバークリーの考えを更に徹底させた。印象とは私たちが心の中に感じる強烈な経験ではあるが、私たちはその経験をそのままに受けとめ、問題にすればよいのであって、それ以上に進む必要はない。対象について私たちは感覚に現れてくる対象のさまざまな様相の経験を通じて、その背後に感覚されている対象の基体として実体を考えがちだが、そのようなものは存在しない。例えば、人間について、私たちが知覚できるのは個々の人間であって、普遍的な存在としての人間などは決して知覚できない。次に、自我について私たちが自分の経験の分析を通じて、経験の主体として自我というものを想定するとき、それは何を指しているのか。デカルトは私が考えているという事実から、その考えることの当事者としての自我というもののゆるぎない存在を導き出したのだが、ヒュームによればそれは誤った推論でしかない。
 外的事物が客観的なものとして存在しないように、自我も存在しない。人間が自分について知りうることは、知覚や観念の働きを通じて、そこに作用している自分の心の状態だけである。その心の状態を知ることと、それの担い手としての自我そのものを知ることとは異なる。人間は決して自我そのものを知覚することができない。人間が自分について知ることができるのは、経験を通じての様々な印象や観念の経過、あるいは内省の中で働く心の動きだけである。このことから、ヒュームは人間の心を知覚の束に還元してしまう。彼は人間の心とは知覚のプロセスそのものであり、その背後に知覚の主体としての自我を措定する必要はないと考えた。
カントとヒュームの対決
 カントはヒュームによって独断のまどろみから目覚めたと告白しながらも、「私は彼にとうてい聴従することができなかった」と書いている。一方、ラッセルはその目覚めは一時的なもので、カントは催眠術を発明して再び眠りについたと皮肉っている。ここでカントが言及しているヒュームの主張とは次のものだった。人間の認識はすべて経験に基づき、主観的なものに過ぎない。その主観的なものが客観的であるというのは仮象に過ぎず、その仮象を実在と取り違えるのは独断のまどろみなのである。それゆえ、原因と結果の関係についても多くの人はそれがアプリオリな法則のように思っているが、実はそうではない。アプリオリどころかあくまでも経験の産物であり、単なる連想、すなわち観念の主観的な結合にすぎない。原因と結果の関係と思われているものはすべて、時間的な前と後の関係に過ぎない。それが頻繁に生起するために、あたかも原因から結果が引き起こされたかのように思い込んでいるだけである。ヒュームのこの考えに対して、カントはその土台となる経験論的な見方に賛同し、人間の経験の主観性を認めることで、主観的な産物を客観的な実在のように思いなす独断論から目覚めた。だが、カントはその土台から導かれる結論に強く反対した。
 人間の認識は、ヒュームが言うように主観的な経験を超越できるものではないが、そこから必然性や普遍性がないとは言えない。因果関係の中には、主観的な連想を超えた客観的で普遍的、かつ必然的なものがあるはずである。その普遍性、必然性は、数学の普遍性、必然性とよく似ている。そうでなければ、ヒュームの言うように、泥沼の不可知論に陥るだけである。カントはこう考えて、人間の認識における必然性や普遍性の根拠は何かを解明しようとした。『純粋理性批判』はその解明の過程を明らかにしたものである。人間の認識を主観との関係で捉えるという仕方は、イギリス経験論の伝統を踏まえたものである。また、人間の認識に主観を超えた客観的で普遍的な性格を求めることは、ライプニッツの観念論の伝統を尊重したやり方である。カントはこの二つを融合させようとした。だから、カントは経験論を観念論の枠組みに押し込んだとも、その逆に観念論を経験論に継ぎ足したとも言われる。
 カントは経験論と観念論を対立させるのではなく、両者を調停しようとする。その際のカントの切り札は、アプリオリ(a priori)とアポステリオリ(a posteriori)、分析的(analytic)と総合的(synthetic)という二組の対概念である。アオプリオリとは経験に先立って先天的に与えられるもので、アポステリオリとは経験を通じて与えられるものである。アプリオリな概念は普遍性、必然性を持つのに対して、アポステリオリな概念はもたない。一方、分析的とは述語の内容が主語の概念のなかに含まれるようなものを言う。それに対して総合的な判断とは、経験によって二つの事柄が結びつくようなものである。通常、アプリオリと分析的とが結びつき、アポステリオリと総合的とが結びつく。観念論はアプリオリな分析判断を重視し、経験論はアポステリオリな総合判断を重視する。ところが、判断の中にはアプリオリでありながら総合的な判断がある。例えば、3+8=11という数式を考えると、3、8、11という三つの数には何ら必然的な繋がりがなく、従って、この式は総合的な判断であるということになる。一方、この式は明らかにアプリオリな真理を表している。カントはこのような区別をもとに、人間の認識の中には総合的な認識でありながら、アプリオリなものがあると考えた。そのアプリオリな性格が、人間の認識をヒュームの不可知論から救ってくれる、カントはそう考えたのである。
 上述のような、アプリオリとアポステリオリ、分析的と総合的という二組の対概念をもとにした説明はもっともらしく見えるのだが、実は眉唾ものなのである。「アプリオリな総合判断」はそもそも可能なのだろうか。