書架の小さな思い出

 ペイリーの『自然神学』(1802)、ライエルの『地質学原理』(1830)、ダーウィンの『種の起源』(1859)は、私にはどれも印象深い書物で、旧図書館の書庫で遭遇したことが思い出される。これら3冊はほぼ等間隔で出版されているが、それだけでも19世紀の前半のイギリスの知的探求の変化を見事に示す直接証拠になっている。そして、それぞれが世界のデザイナー(としての神)の存在、地球の地質学的環境の長期的な歴史的変化、生物の系統的な変化(適応的な進化)を見事に主張するものだった。とはいえ、どの本のどの版にも共通するのは、薄く、小さく、貧相な装丁であること。本の内容とは無関係とはいえ、外見はどれも地味で、目立たないものだった。

 私が大学生の頃の図書館は閉架式で、自由に書庫に入ることができなかった。それが開架式に変わり、院生の頃に埃だらけの書庫に入り、書架で最初に見つけたのが上記のライエルの『地質学原理』。初版ではなかったが、異なる4つの版がごく普通に置かれ、見比べることができた。流石にどの初版本も普通の書庫にはなかったが、どの本も19世紀イギリスの酸性紙を使った印刷本で、既に相当炭化が進み、丁寧に扱わないとページが折れ、砕ける状態にあった。

 国文学の同僚は和紙を使った和装本がもっぱらの研究対象で、時々私など読むこともできない文書を触らせてもらうのだが、イギリスの洋装本とは異なり、炭化して折れ、壊れることはなく、しなやかなままで、墨の色も鮮やかなままだった。奇妙なのは紙のあちこちに穴が開いていることで、それが虫食いの穴。とはいえ、印刷の洋装本を優に凌駕する墨と和紙の和装本に驚かされたのが思い出される。

 本が印刷される以前となれば、手書きの写本(manuscript)になるが、流石にこれらは書架には置かれていない。紙は羊皮紙、革の装丁で、両手で持たなければならないほど重いものがほとんど。多くの写本は一色ではなく、様々な色のインクが用いられ、実に豪華に装丁されている。中でも動植物の銅版画が多数配された博物学図鑑の美しさには驚かされた。

 最後はバブル期の図書館のこと。図書費が潤沢になっても、図書館の書架の面積が変わらない以上、古典や高価な初版本が購入のターゲットになり、ルネッサンス以降の科学書も増え、ニュートンライプニッツの著作などが珍しくなくなった。図書の量ではなく、質が高まったのは正にバブルのお陰だった。