今年のクリスマス

 クリスマスでもこの世は相変わらず騒々しく、宗教のこの世での役割はますます霞んでいくだけにみえます。ウクライナ正教会のクリスマス祝祭はユリウス暦に準じて1月7日をクリスマスとし、1月6日に祝われるクリスマスイブから始まっていましたが、現在ではロシアへの反発からグレゴリオ暦の12月25日が公式の祝日となっています。

 ユダヤ教ハヌカーはキリスト教のクリスマスとほぼ同じ時期に祝われますが、この二つの祭日は起源も性格も異なっています。12月11日にホワイトハウスで開かれた「ハヌカー」を祝う行事ではバイデン大統領がいつも通りの挨拶をしています。 

 イスラム教はアッラー以外を神と認めておらず、偶像崇拝も禁止のため、イエスを神の子=神と扱う行事はありません。とはいえ、クリスマスを楽しみ、プレゼントも構わないようです。

 ユダヤ教が生まれたのは紀元前2000年頃、キリスト教は紀元後1年、イスラム教は紀元後700年頃です。ユダヤ教の経典は旧約聖書キリスト教旧約聖書新約聖書イスラム教は旧約聖書新約聖書の4福音書コーランです。最初に旧約聖書ヘブライ語聖書)が作られ、ユダヤ教が誕生。さらに新約聖書ができ、キリスト教が生まれます。そして、ムハンマドがそこから作ったのがコーラン。ですから、この三つは「姉妹宗教」で、信仰される神は同一です。ユダヤ教のヤハウエ、ヤーヴェ、そしてイスラム教のアッラーも、呼び名は違っても「神」としては同じです。その上、三宗教すべての聖地がエルサレム

 三つの宗教は根が同じなのに、互いに仲はよくありません。でも、これは仏教でも似たり寄ったりで、宗派が異なるとやはり仲が良いとは言えません。その理由は簡単で、同じ宗教的信念を絆にして共同体をつくるのが宗教活動ですから、内と外を区別することが不可欠なのです。内も外もなく、誰にでも開かれている宗教があるかとなれば、そんな宗教はありません。ですから、それが宗教の限界なのだと言うことは簡単なのですが、それにもかかわらず、徒党を組むことによって有利な生活をするための紐帯が教義となり、共に神を信じることは自らの生活を安堵することとして、誰にも疑われずに信じられてきました。

 そんなことが頭の中で浮かび、沈む中で、今年のクリスマスも築地教会のクリスマスのミサに出席し、ミサ独特の時間を過ごしました。神への絶対的な服従、帰依と、神の愛とを両立するものとして(例えば、聖体拝領を)受け入れることが今の社会に生きる人たちに十分に魅力的なのかどうか、いつも考えてしまう私の問題です。

 信仰をもつことの自由とそれを拒む自由が(少なくても日本の)私たちには保障されています。さらに、異なる信仰をもつことの自由もありますから、私たちには様々な選択とその変更が宗教に対して許されているのです。つまるところ、自由と宗教はどのように関わり合っているのか、それを自由に話し合うことがずっと求められてきた筈なのですが…