仏教の経典とは一体何なのか

 経典とはお経。誰でも聞いたことがあるように、お経は唱えられる。聖書もコーランも経典の数量に比べれば、何とも貧弱。ユダヤ教旧約聖書+タルムード、キリスト教旧約聖書新約聖書イスラム教=旧約聖書コーランと大胆に図式化すれば、いずれも経典としては共通部分が多いが、仏教はこれらの宗教のどれとも共通の経典をもっていない。「コーラン」は預言者ムハンマドによって書かれたイスラム教の聖典で、神(アッラー)が天使カブリエルを通して伝えた啓示を114章にわたって書きまとめたもの。また、聖書と同じ物語なので、それはすでに知っているとした上で、内容は物語の順ではなく、長い章から先に配置されている。
 それら世界宗教に対して、仏教の経典は実に多種多様。原始仏教から見れば、大乗経典は方便と言われている。それでも、経典はその内容の違いから三つに分類され、三蔵と呼ばれてきた。
三蔵:(1)経:ブッダの教えをまとめたもの、(2)律:仏教徒の行動規範(戒律)、(3)論:経や律を研究し、注釈したもの
 また、経典は教義の違いから二つに分類できる。
小乗経典:釈迦が直接弟子に説いた教えをまとめたもので、原始仏教の経典。『阿含経
大乗経典:大衆に釈迦の教えを広めるための経典。『般若心経』、『法華経』、『華厳経
(さらに、密教経典:密教の奥義を説いた大乗経典。『大日経』、「金剛頂経』)
阿含経
 数千におよぶ経典の総称で、「長阿含経」、「中阿含経」、「雑阿含経」、「別訳雑阿含経」、「増一阿含経」などがある。「長阿含経」には、須弥山からなる原始仏教の世界観が描かれている。
<般若心経(天台宗真言宗、浄土宗、禅宗)>
 正式名は「摩訶般若波羅蜜多心経」または「般若波羅蜜多心経」。「般若」とは智慧を、「波羅蜜多」とは「智慧で彼岸へ渡る(さとりをひらく)」ことを意味し、「すべての人々を彼岸へ渡らせる」と主張して登場した大乗仏教の基本的な考えを初めて宣言した傑作経典。日本で一般的にいう「般若心経」は玄奘訳のもので、玄奘が訳した全600巻から成る「大般若経」の中から、そのエッセンスを簡潔にまとめたもの。609年(推古天皇)にもたらされたサンスクリット語の般若心経が日本最古のもので、法隆寺に残っている。
 「色即是空、空即是色」の一節は有名で、深遠なる「空」の境地を説いたもの。それまで原始仏教がこだわり、説いてきた煩悩克服の教えに対して、「一切こだわるな」と教えている。煩悩を克服しようと執着する心を捨て、こだわりのない心を持ったなら、おのずと「空」の境地が開けてくる、それこそが真理であり、一切の苦しみから解き放たれる道であると教えている。原始仏教の教えの対極にあって、しかも出家僧だけでなく、全ての人々に対して説かれた革新的な経典と捉えられ、大乗仏教の根本経典となってきた。
 般若心経は日本人には特別に人気のあるお経。「空」は変化のことで、空を見上げていると、天気が目まぐるしく変わるのを目撃できる。天変地異が続き、絶えず変化することが「空」。どんなに美しい人でも50年も経てば老人に変貌し、その先には死が待ち構えている。そうした絶対的な変化が「空」。「空」とはヘラクレイトスの「万物流転」と同じ。世界、宇宙とは「万物流転=空」を本質としている。それが『般若心経』の中で「色即是空」と表現されている。この4文字は、木々も山海も、地球や宇宙も、万物は例外なく変化して、いずれ滅びて無になるということを示している。ブッダが「色即是空」に込めた智慧は、「この世のすべては束の間の存在に過ぎず、それに執着しこだわるのは、もうやめよう」という教えである。「起こってしまった過去をそのまま受け入れる」ということ。一度起きたことは、もう変えられない。過去への執着から自由になり、すべてをあるがままに受け入れたとき、人は平安な心を手に入れ、幸せになれる。
 『般若心経』の「色即是空」の後には、「空即是色」の4文字が続く。万物は変化するだけでなく、変化の結果として再生する。生きものはどんどんと亡くなっていき、いずれ姿を消す。これは「色即是空」。しかし、そのうちまた新たな命が誕生し、地上に溢れる。これが「空即是色」。「空即是色」にも、ブッダの教えが込められている。万物は再生するが、生まれてくるのはいいことばかりではなく、地震津波など不幸で、歓迎したくないことも再生する。それを人間の力で押しとどめることはできない。将来起こることのすべてを人間がコントロールするのは不可能。そこから将来を怖がって前に進もうとしない人が出てくる。ブッダはそういう人に対して、これから起こることを心配しても仕方なく、自分にできる限りの努力をすれば、その後はもう天に任せて思い悩むべきでないと説く。
 色即是空が「過去を受け入れる」なら、空即是色は「未来を受け入れる」こと。こだわりを捨ててこの2つの境地に達することが「さとり」。
法華経天台宗日蓮宗)>
 代表的な大乗経典で、正式名は「妙法蓮華経」、日本で最初にこれを講じたのが聖徳太子。漢訳では、鳩摩羅什の訳のものが最も多く用いられた。全八巻二十八品からなり、大きく分けて「迹門」と「本門」の二つに分けられ、さらに序文・正宗分・流通分の三部に分けて解釈されることから二門六段と言う。「迹門」は釈迦が久遠(永遠不滅)の仏であるという実体を明らかにする以前の教えで、「本門」は釈迦が久遠の仏であることを教え、この教えを信じ、実践する者に至福への道が明らかにされている。
「方便品」(ほうべんぽん)
 あらゆる事物の成り立ちについて、縁起の法則を詳しく述べながらも、これさえも究極の真理ではなく、人々を救いに導く方便(手段)であるとしている。
「自我偈」(じがげ)
 釈迦の「久遠の成仏」を説いたものとして、「法華経」の真髄とされる如来寿量品第十六のなかでも特に重要な部分。
「観音経」
 観世音菩薩の名前を唱えるだけで、どんな災厄からも救われるという現世利益を説いている。もとは単独の経典だったが、後に法華経に組み入れられた。
無量寿経浄土三部経、浄土宗、浄土真宗時宗)>
 序・本論・結語の三部四章からなり、経が長いことから「大経」とも呼ばれる。法蔵菩薩が一切衆生を救済するためブッダとなることを志し、その本願(誓い)として四十八願をたてる。長い修行をへて、すべての誓願を成就させた法蔵菩薩阿弥陀如来となり、荘厳なる西方極楽浄土が出現する。そして、極楽往生を願う人々に称名念仏を説いている。
観無量寿経浄土三部経、浄土宗、浄土真宗時宗天台宗)>
 略して「観経」とも呼ばれる。ドラマチックな王位継承をめぐる骨肉の争いをベースにして、極楽往生するための具体的、実践的な方法論を詳しく説いている。
阿弥陀経浄土三部経、浄土宗、浄土真宗時宗)>
 浄土三部教のなかでもっとも短いため、「小無量寿経」「小経」とも呼ばれる。現在、浄土系各宗派の法事などでよく読誦される経典。簡潔、コンパクトに、極楽浄土の荘厳な様子や、極楽浄土へ往生する方法を説いている。
* 浄土真宗で大事なお経は『大無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の三つで、これが浄土三部経浄土真宗ではこの三つのお経を大切にし、『般若心経』や『観音経』などを読んだり書写したりすることはない。浄土三部経には、阿弥陀仏のことが集中的に説かれている。親鸞は、「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」(教行信証)と述べ、真実の経(釈尊の本心が説かれている経典)は『大無量寿経』ただ一つと断言している。
 『大無量寿経』は、略して「大経」ともいわれ、ブッダはこの経の初めに、「如来、世に出興する所以は道教を光闡し、群萌を拯い恵むに真実の利を以てせんと欲してなり」と言い、「私がこの世に生まれ出た目的は、一切の人々を絶対の幸福に導く、この経を説くためであったのだ」と宣言している。これを出世本懐経と言う。出世本懐経とは、真実の経と同じ意味で、ブッダの本心が説かれている経典ということから、『大無量寿経』以外のすべての経典は、方便のお経ということになる。さらに『大無量寿経』の終わりには、「当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、特にこの経を留めて止住すること百歳せん」と、真実の経であることの、とどめを刺す。これは、「やがて、『法華経』など一切の経典が滅尽する、末法・法滅の時機が到来するが、その時代になっても、この『大無量寿経』だけは永遠に残り、ますますすべての人々を絶対の幸福に導くであろう」と述べる。
 『観無量寿経』は、略して「観経」とも言われる。「王舎城の悲劇」で有名な、韋提希夫人への説法が記されている。ブッダ在世当時、マガダ国の王・ビンバシャラ王の妃・韋提希(イダイケ)夫人は、わが子・阿闍世(アジャセ)によって、七重の牢に閉じ込められる。この時ブッダは、「このたびは特に大事な話をしよう」と言われ、大衆を前に霊鷲山で『法華経』の説法をしていた。しかし、牢獄で苦しむ韋提希夫人の救いを求める声に、『法華経』の説法を中断して、王宮に降臨され、弥陀の救いを説かれた。これは、本師本仏の弥陀の本願こそ、釈迦一代の仏教の目的であることを示している。
 『大無量寿経』が「大経」であるのに対して、『阿弥陀経』は「小経」。ここには阿弥陀仏と極楽浄土の様子が詳しく説かれている。この経の眼目は、東西南北上下(六方)の大宇宙の諸仏方が異口同音に、「ブッダの本願まこと」を証明されている「六方諸仏の証誠」にある。普通のお経は、だれかの質問に答える形で説かれているが、『阿弥陀経』だけは「無問自説の経」といわれ、ブッダの問わず語りの説法である。
 経典の初歩の話だけでは何もわからないのだが、それが方便だと言われてきたことについて、一体何のための方便なのかにだけ触れておこう。経典という形式で情報公開を図り、ブッダの教えを広く伝えたい、というのが方便の理由。そのために物語の創作が行われ、信仰のスタイルが変更されることになったと思われる。信仰を広めるための方便、それが経典の創作となり、かくも多彩な経典群が誕生した。

*多彩な経典の種類と量は文学作品のような様相を呈するが、キリスト教の聖書と比較すると、二つの宗教の違いが見えてくるだろう。そこで、聖書の旧約と新約の違いを述べてみよう。
<旧約と新約>
 イスラエル民族の歴史物語が旧約聖書アブラハムイスラエル民族の先祖。ノアの箱舟のノアやアダムとイヴまで遡ると神話となり、信憑性はなくなる。だから、イスラエル民族の先祖はアブラハムアブラハムの子供のイサク、イサクの子供のヤコブ、このヤコブが多くの子供を産み、それぞれが族長となっていく。その中の一人がモーセであり、サウル、ダビデ、ソロモンなどもイスラエル民族の王となった。最終的に彼らはユダヤという国を建国。ここまでの歴史が記されているのが旧約聖書アブラハムが登場して以降は事実に基づくということになっているが、多くの創作と脚色がふんだんにあることは明らか。旧約聖書は「頭脳明晰なイスラエル民族が自らを神に選ばれた民として、自分たちの歴史を描いた物語」なのである。
 では、イスラエル民族はなぜ旧約を残したのか。神を信じた彼らは自らを「神に選ばれた民」と考えていた。そして、神がいつの日か救世主メシヤを送ってくれると信じていた。神、メシヤはイスラエル民族にとって生きる拠り所だった。彼らの歴史は過酷で、自分たちを解放するものが現れるという慰めがほしかったのだろう。イスラエル民族の苦難を表すのがエジプトを脱したモーゼ。また、サウルやダビデの王国は分裂した後、バビロンに滅ぼされて捕囚となったが、何とか生き延びイスラエルの地に戻ってきた。その彼らが預言者であるマラキに従い建国したのがユダヤだった。支配される立場にいた彼らが強く望んでいたのがメシヤの降臨であり、メシヤは国を導くリーダーだった。
 新約聖書はまずマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの福音書があり、その次に使徒行伝、さらにローマ人への手紙、コリント人への手紙などが続く。それは「イエス・キリストの生涯とその教えをまとめたもの」である。旧約聖書を記したのはイスラエル民族だが、新約聖書を記したのはその中からキリスト教徒に改宗した人たち。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネはいずれもイエスの弟子で、彼らがイエスと共に布教活動をしながら、その言動をまとめたものが四つの福音書である。イエスの誕生から、十字架での死、復活までが述べられている。イエスは33歳で亡くなるから、約30年分のイエスの記録である。
 その次の「使徒行伝」にはイエス・キリストが死んだ後に弟子たちが布教活動をしていく様子が記録されている。より正確には、パウロが自分の布教活動を記録したもの。このパウロが重要で、実は上述の四つの福音書以外のほとんどを書いたのがパウロ。実に新約聖書の7割程度を記している。パウロイエス・キリストが死んでからイエスの弟子になった。パウロの元々の名前はサウロ、熱心なユダヤ教徒だった。ユダヤ教徒イエス・キリストをメシヤとして受け入れず、結局十字架で殺した。そして、パウロもそれに同調した。熱心にイエス・キリストとその弟子たちを迫害していたパウロがなぜかイエス・キリストが亡くなった後にキリスト教に改宗し、破竹の勢いで布教活動をしていく。使徒行伝にはパウロ自身が改宗する場面が書かれている。夢の中でイエス・キリストが現れてパウロを伝道する。目覚めたパウロ目から鱗のようなものが落ちたと聖書には記録されている。これが「目から鱗」の語源。上記の四つの福音書はイエスが生きている間にイエスに伝道された人たちなので、その教えや言葉を直接伝え聞いているが、パウロはイエスには会っていない。にもかかわらず新約聖書の7割以上を記したのである。それゆえ、キリスト教のことをパウロ神学だという人もいる。となれば、イエスの本当の教えが伝わっているかは疑問の余地が残る。
 こうして、新約聖書をまとめると「イエスの生涯を4人の弟子がまとめたものとパウロがイエスの教えを伝え聞いて独自の解釈でまとめ上げたもの」ということになる。