正統と異端の狭間に詰まっているもの

 科学では異端が普通であり、それによって新しい正統が生まれ、常に知識が更新されることが健全だと思われている。それに対して、宗教では正統と異端の間には大きな隔たりがあり、単なる多数派、少数派の違いではないと信じられている。とはいえ、宗教での正統と異端も実は極めて人間的で、その間の垣根は高くない場合が相当ある。宗教であっても正統と異端の判断は人が行うのであり、それゆえ、二つは揺れ動くことになる。私はこれまでも「異安心」事件や『歎異抄』について述べてきた。いずれも極めて人間的で、仏教における揺れる異端の一端を垣間見てきた。

 

 キリスト教の聖書は、旧約と新約からなる。旧約聖書は「創世記」や「出エジプト記」のように神話物語であり、読んでいて面白い。一方、新約聖書はイエスの生涯と教えが中心で、四つの「福音書」、「使徒の言行録」、「使徒の手紙」、「ヨハネに黙示録」からなる。中でも、教会にとって重要なのは「福音書」。そして、これらを含む27の文書がキリスト教の正典。だが、正典以外にも多くの聖書が存在し、その内容はしばしば正典と大きく異なる。つまり、イエスの言動、神概念について異なる解釈が存在する。中でも有名なのは、イエスの神性をめぐる論争。325年、この論争に決着をつけるため、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世はニカエア公会議を開いた。この会議で、アレクサンドリアの司祭アリウスは「神は絶対存在であるゆえに、始まりも生まれることもない。しかし、キリストは生まれたのである。それゆえ、彼は神と同じではない。キリストは神の子、つまり、神の意志によって存在するのであり、絶対的な神性をもつものではない」と主張した。これは明解で、説得力十分の主張。これに対し、アレクサンドリアの主教アタナシウスは、父である神と、子であるキリストが同じ神性をもつと反論。これもまた見事で、父と子と聖霊という三つの位格が一つとなって神の存在とする「三位一体」を主張し、これがキリスト教の正統となった。一方、先のアリウスの主張はアリウス主義として異端とされ、アリウスはリビアに追放。

 キリスト教の異端にはアリウス主義よりはるかに危険な異端がある。イエスの言行録は、イエスの死後、紀元1~2世紀に数多く書かれた。だが、現在正典と認められているのは27の文書に過ぎない。残りの文書は、歴史から消されたか、異端として排斥されたかのいずれかで、これを実施したのがアタナシウス。367年、ニカエア公会議で勝利したアタナシウスは、先の四福音書を含む27の文書を正典、つまり「新約聖書」とした。また、正典として認められなかった異端の書は「新約聖書外典」として区別した。文書の取捨選択、あるいは捏造は歴史の常だが、問題は選択基準。キリスト教の場合、創始者のイエスと後継者たちの教えは必ずしも一致していない。そして、外典の背景にあるのが「グノーシス主義」。

 グノーシス主義は紀元1世紀頃に登場したプラトン的な思想。その二元論的な世界観はイスラム教やキリスト教、そして仏教にも影響を与えてきた。中でもキリスト教グノーシス派が正統キリスト教会にとって、最も危険な異端と見做された。グノーシス主義は、物質と霊を区別し、霊を至高のものとし、物質を下等な悪とみなす。物質世界は物質であるがゆえに悪であり、創造神デミウルゴスも偽りの神とする。これでは旧約の創世記を否定することになり、正典入りはとてもできない。当然、人間も物質(肉体)なので「悪」となるが、本来の姿である「光霊」を認識することにより、至高神に帰還できる。

 この異端のグノーシス主義を代表する書がナグ・ハマディ文書。1945年、エジプトで発見され、グノーシス主義の研究を一気に前進させた。ナグ・ハマディ文書には、トマスの福音書、ピリポ福音書、真理の福音などキリスト教の教えを記した文書が10点以上も含まれていた。中でも興味深いのは「トマス福音書」。著者のトマスはイエス十二使徒の一人。トマスの言行は、新約聖書の正典の一つ「ヨハネによる福音書」でも確認できる。トマスの福音書を読むと、イエスが並みの知能の持ち主ではなく、特異な知性をもつことが記されている。

 先のアタナシウスが正典と外典を意図的に取捨選択した理由は何なのか。これは私の全くの推測に過ぎない。イエス・キリストの「愛」の教えはそれまでのユダヤ教とは違って、画期的なものだった。今では当たり前の愛を彼は2000年も前に説いたのである。しかも、それは比類なき絶対愛であり、利他主義に溢れていた。このような教えを広めるためにはイエスの神性は不可欠で、知より愛を優先し、それに合致した書を選んだと考えてもよいのではないか。ただ、知と愛は両立可能なものであるから、グノーシス主義と愛の関係はより綿密に再考察してもよさそうに思えるのである。