阿弥陀信仰(2)

 前回の話を読んだ方々はまず違和感をもたれた筈で、これは法螺話で、にわかには信じ難い方便だと訝った方も多いことでしょう。確かに十分な証拠が揃っている訳ではなく、しかも紀元前後の大昔の話で記録も全く不十分です。キリスト教ユダヤ教イスラム教、仏教、バラモン教拝火教マニ教等々、多くの宗教が互いに混じり合い、切磋琢磨しながら苦難に立ち向かい、政治を動かし、社会をコントロールすることがダイナミックに行われていた時代を併せ考えるなら、イエスと釈迦が、マリア信仰と阿弥陀仏信心が混じり合っても不思議なことではないでしょう。

 

 釈迦もイエスも自らの求めるものの実現のために、家族を犠牲にすることになりました。今風に言えば、二人ともホームレスになった訳です。そして、イエスも釈迦もそれ以降は家庭をもちませんでした。イエスも釈迦も最初に師や先駆者を求め、その後、その師や先駆者のもとを去るのですが、二人ともそれら師や先駆者を十分に尊敬し、評価しているのです。イエスが最初に入ったヨハネの教団を去り、独自に活動し始めたことは福音書に説かれている通りです。釈迦も二人の冥想家を訪れ、修行しますが,自分の求めるものとは異なることを知り、そこを去りました。

 釈迦もイエスも解脱や信仰の確信を得る前に、悪魔や煩悩の妨害にあっています。イエスが荒野で悪魔の試みを受け、それを毅然と退けたように、釈迦も解脱前に多くの煩悩の誘惑を受け、それを毅然と退け、悟りの境地に達しました。悪魔と煩悩の違いがあっても、共に克服すべき事柄に真っ向から対峙しました。そして、イエスも釈迦も極端な快楽主義と苦行主義を否定し、寛容、中庸を重んじ、極端さを否定しているのです。

 ユダヤ教を「正」とすれば、イエスの姿勢、態度は「反」なのですが、イエスはその反ユダヤ教の思想を「脱」という形で無限に続ける生き方をしたと考えられ、イエスは永遠の離脱者であるとされています。イエスの「反」の思想を「脱」という形で無限に持続させる生き方はあらゆるものへの無執着に繋がります。イエスと弟子の関係を考えるならば、釈迦もイエスも自分が指導者であるとか、弟子を率いるとか、教団のトップに君臨しようとした気持ちさえもたなかったという点で共通しています。特に、釈迦の場合はそれが明確に教えとして残っています。この釈迦の姿勢は何事にも執着しないという姿勢です。

 イエスキリスト教における離脱、離在と、釈迦における空、無執着との比較を通じて、共通点がはっきりしてきます。イエスの家族からの離脱、その後の彼の態度が仏教の無執着、さらには解脱と同じであるかは想像しかできません。しかし、イエスの姿勢から明確に窺えるのは、イエスがバプテズマのヨハネを訪ね、またヨハネから離脱した点です。これは世俗の快楽主義とヨハネの採っていた苦行主義の両方から離れることを示していて、仏教の求道のあり方である苦楽の二辺を離れ中道を歩む、あるいは両極端を離れるという姿勢に極めてよく似ているのです。 

 むろん、キリスト教と仏教には違いがあります。仏教では、よく「信心」といいます。「信仰」というよりは「信心」といい、一方キリスト教では、「信心」と言わず「信仰」といいます。「信心」は「信じる心」と書き、「心」が重要視されています。信じる「対象」よりは、むしろ信じる「心」の方に重きが置かれています。原始仏教は臨床心理学の側面を強く持っていて、人の心の分析に優れています。一方、キリスト教の「信仰」は、「信じて仰ぐ」と書き、心もさることながら、信じて仰ぐ対象、それも絶対的な神が重要視されています。大乗仏教の間では、阿弥陀仏の説話に限らず、それが歴史的事実であるか否かということは、あまり重要視されません。仏典が事実を述べた物語だとは誰も思っていません。それらは方便で、信仰の「対象」よりは、信じる「心」の方に力点が置かれ、より重要視されるのです。これは、キリスト教との大きな違いです。キリスト教では信仰の対象の確実性が非常に重視されます。キリストの使徒パウロは「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」(一コリ一五・一六)と記しました。これは、キリストの復活がもし歴史的事実でないなら、キリストへの信仰は空しく、意味のないものであると述べているのです。でも、キリストの復活は歴史的事実であり、私たちの信仰はそれを土台にしている、とパウロは主張しているのです。
 このようにキリスト教には、信仰の対象の歴史的真実性を不問に付す、という考え方はありません。たとえそこに示された思想がどんなに立派であっても、もし事実でないなら、信じる必要はないのです。とはいえ、キリスト教阿弥陀仏信仰を基礎にする浄土教は実によく似た教えをもっています。「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」(善人が極楽往生を遂げるなら、ましてや悪人が往生できないはずはない)という『歎異抄』の言葉に対して、聖書も、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」(ロマ五・二〇)と述べています。私たちは、罪人であり、愚かな凡人であるからこそ救われるのです。仏と人は、二つでありながら、もはや二つではなくなり、相通じて一つの念仏となるのです。 

 さて、善光寺の本尊に関わる話の出発点を辿ってみましょう。出発点は『トマスによる福音書』。この文書は、1945年にエジプトで見つかった『ナグ・ハマディ写本』群に含まれていたもので、114の文からなるイエスの語録集です。本文中に使徒トマスによって書き記されたとあるので、この名がつけられました。なお、現行の新約聖書には含まれないという点では、「内典」ではなく、「外典」です。本福音書の本文には「使徒トマス」により書き記されたとあります。ただし、学問上、実際に使徒トマスによって書かれたものとは考えられていません。

 「トマス」は、アラム語で「双子」を意味する言葉です。使徒トマスがなぜ「双子」という呼び名を持つのか、また誰と双子であったのかは不明ですが、本福音書では、イエスと「双子」であったと示唆され、高く評価されています。ただし、グノーシス主義的な立場から述べた象徴的な意味での双子であって、必ずしも血縁の兄弟を意味するものではありません。ところで、現行の新約聖書では、使徒トマスは、十二使徒の一人に数えられるだけであまり目立たず、時として低く評価されています。この点については、新約聖書正典を制定した正統派教会が軽視する使徒トマスを本福音書があえて高く取り上げたか、あるいは、本福音書が高く評価するがゆえに正統派教会がトマスを貶めたか、いずれの可能性もあります。

 善光寺阿弥陀三尊=一光三尊阿弥陀如来像は、「中尊阿弥陀如来、脇侍観音菩薩勢至菩薩」の三体が、一つの光背の中に立っています。阿弥陀如来の梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、「アミターユス」は「無限の寿命をもつもの」の意味で、これを漢訳して無量寿仏、無量光仏とも言います。空間と時間の制約を受けない仏であることを示しています。無明の現世をあまねく照らす光の仏で、観音菩薩の梵名の「アヴァローキテーシュヴァラ」とは、遍く+見る、見た+自在者という語の合成語で「観自在菩薩」と訳されます(玄奘三蔵)。観自在とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味します。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっています。観世音菩薩は、「慈母観音」などという言葉から示されるように、女性と見る向きが多いのですが、経典などでは釈迦が観音に向かって「善男子よ」と呼びかけ、また「観音大士」という言葉もあることから、本来は男性であったと考えられています。でも、観音経では女性には女性に変身して説法するともあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになりました。
 勢至菩薩の梵名の「マハースターマプラープタ」は、「偉大な威力を獲得した者」の意。大勢至菩薩、得大勢至菩薩と表記されることもあり、阿弥陀三尊の右脇侍で、仏の智門を司り、衆生菩提心を起こさせます。智慧の光を持って一切を照らし衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないように救う菩薩です。大勢至といわれる所以は多くの威勢自在なるものを「大勢」、大悲自在を成し遂げる(果)に「至」るから採られていると思われます。
 阿弥陀如来は、大乗仏教で登場した仏尊であり、その起源はゾロアスター教などのイラン系の信仰に由来するという説もあります。それによると、光明の最高神アフラ・マズダーが無量光如来、無限時間の神ズルワーン無量寿如来の原型とされます。西方極楽浄土は、ゾロアスター教の起源であるイラン地方、もしくは肥沃で繁栄した古代バビロニア地方が背景になっているとする説もあります。でも、阿弥陀三尊信仰に関しては、1 世紀西北インドにおいてギリシャ文化と仏教美術の融合の産物として世界最古の仏像が作られた頃、キリスト教聖母マリアとその双子への信仰が仏教と融合することによって生まれたという説が注目されています。既述の新約聖書外典『トマス行伝』によれば、キリストの弟子のトマス(「双子」の意)はイエスと双子の兄弟で、インドにキリスト教を伝えたとされています。現在のトルコ東部の都市ディアルバクルはローマ時代は「アミダ」と呼ばれており、そこには聖トマス教会が建っていました。このトマスによってアミダとインドとの間に関係が作られ、この都市名がインドに伝えられ、阿弥陀仏の名に用いられたと言うのです。この説よれば、阿弥陀浄土教は本来、イエス・トマスという双子の兄弟とその母マリアを慕うインドのキリスト教徒たちが仏教と習合しつつ生み出し、阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩の三尊も、聖母マリアとその双子の兄弟のイメージから生まれたと説明されるのです。西北インドキリスト教は1 世紀半ば頃から仏教と融合し初め、キリスト教に由来する自己犠牲的な利他主義やアミダ信仰を仏教の一派として唱えるようになり、大乗仏教という大枠が1 世紀末頃に固まったのではないかと言われています。
 イエスとトマスが双子であるというのは荒唐無稽な話に思えますが、トマスがインド宣教を行なったことは史実として認められています。そして、仏教がキリスト教の影響を受けたことは間違いないでしょう。善光寺阿弥陀三尊は、新約聖書外典『トマス行伝』から生まれた「聖母マリアとイエスとトマスの三位一体像」にダブるものだと考えることができそうです。『トマス行伝』はキリスト教の異端ということになっていますが、キリストの弟子のトマスは異端者ではなく聖書の正統派の信仰を持っていました。興味深いことに、善光寺の説明によると、善光寺阿弥陀三尊は生身の人肌のぬくもりが感じられる仏様で、「生身(しょうじん)の阿弥陀仏如来」と呼ばれるそうです。それを聞くと、人間の形をとられた神、イエス・キリストを連想できるのですが、残念ながら、秘仏であるため、誰もそのぬくもりを感じることができません。再度、フェノロサや天心の勇気が求められるのです。

 

 子供の頃、祖母が「ナマンダブ、ナマンダブ、…」と唱えていた阿弥陀信仰と西方浄土への成仏という大乗仏教の教えが、キリスト教から影響を受けて生まれたとなれば、中南米でのマリア信仰と阿弥陀信仰の重なり合い、マリア観音の存在さえ、単なる符合ではないことが透けて見えてきます。このような比較宗教学的な事柄の真偽とは別に、何か妙に心が晴れ晴れし、安堵するのは私だけではないのではないでしょうか。