私たちの世界には色々な神々が存在しますが、A君は(1)日本の神、(2)キリスト教の神、(3)仏教の神に分けてまとめてみました。
(1)日本の神
「山や河、石や木などの物や、死んだ人間や動物」など、森羅万象のほとんど何でも神になり、そのため、「八百万神」と呼ばれるのが日本の神々の特徴です。特に、日本の神で目立つのは死者。伊勢神宮の天照大神がその代表ですが、伝説によれば約3千年前の優れた女性でした。さらに、怨霊から神様に転じた菅原道真、明治神宮の明治天皇、日光東照宮の徳川家康なども神になった例です。また、死んだ蛇や狐も神になり、人に幸せや不幸を与えてきました。
(2)キリスト教の神
キリスト教の神は『旧約聖書』のヤハウェ。ユダヤ教のヤハウェもイスラム教のアラーも同じ神で、全知全能です。6日間で天地を創造し、土から人間を創ったと書かれています。ところが、被造物の人間は神の教えを破り、楽園を追放されます。神は全知全能ですから、人が信じるようにできるはずで、背く前に予知して対策も立てられる筈です。それなのに、アダムとイブを追放し、ソドムとゴモラという町を全滅させ、ノアとその家族以外の全人類を洪水で流します。これでは、神が自らの意志で人間に背かせて大量虐殺していることになります。このように、神の存在自体が矛盾を孕むことから、神について様々な議論がなされてきました。
神は創造主であり、全知全能であり、人類の運命を決定づけ、罰を与え、奇跡を起こし、世界と人に干渉するような存在という有神論には全能のパラドックスがあります。神は「四角い円をつくれるのか」といった問いに答えられず、矛盾をかかえてしまいます。これが全能のパラドックスです。また、神は超自然的な知性をもちますが、宇宙の法則を設定した後は人類に一切干渉しないとするのが理神論です。これによって、神は奇跡を起こさず、理性によって神の存在を認めようとしました。しかし、この世界には生物の合理的でない体の作りや、最適化しない宇宙の仕組み、低すぎる生命の発生確率などがあり、知性のある神が設計したとは到底思えないという批判が出されました。汎神論の神は超自然的な存在ではなく、自然をあえて神とする立場はアニミズム信仰と同類と思われたり、無神論の立場とされたりしました。これらから分かるのは、神の存在を理性で合理的に理解し、信じるのは論理的に不可能だということです。
(3)仏教の神
仏教では、因果の道理に基づき、どんな出来事にも必ず原因があり、宇宙の始まりというものはありません。現象は変化し続け、流転しています。支配的な神もなければ、幸せや不幸を与える神もなく、すべての運命は自らの行為の結果です。
さて、仏教に登場する「神」はヒンズー教などから入ってきた神々です。例えば、梵天、帝釈天、四天王等の諸天、堅牢地神、龍王、炎王等、善鬼神や夜叉、羅刹などの悪鬼神などです。これらの神は六道輪廻中の業報の神で、さらに垂迹(すいじゃく)の神もいます。「垂迹の神」とは仏や菩薩が、衆生を救うために一時、神の姿で現れたものです。
仏教の仏は死んだ人のことでもなければ、神のことでもありません。悟りを開いた人が仏です。仏の悟りは全部で52ある悟りの中でも最高の悟りです。地球上で仏の悟りを開いたのは釈迦だけですが、大宇宙には地球のような天体が無数あり、そこで仏の悟りを開いたものも、数え切れないほどいます。そして、それぞれの世界でそこに住む人が幸福になれ道を説いているのです。
仏とか如来というと、大日如来、薬師如来とか、釈迦如来以外にもたくさん登場します。地球上では「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」でいいのですが、宇宙には地球のような天体が無数あり、仏の悟りを開かれた方も無数います。その仏の中で、諸仏の王と説かれているのが阿弥陀如来です。大乗仏教の経典の方便によれば、すべての仏は阿弥陀如来の浄土から出て来られ、このことから、阿弥陀如来はすべての仏の根本の仏と説かれています。
*仏と菩薩と神
諸仏の仏 阿弥陀如来