博物学(Natural history)の東西を振り返ってみましょう。体系化を第一義に考えたリンネ(『自然の体系(Systema Naturae)』)と、記載を中心に考えたビュフォン(『一般と個別の博物誌』)は実に対照的で、静的な「自然の秩序」(リンネ)から動的な「自然の歴史」(ビュフォン)への変化(誌から史への変化)を読み取ることができます。世界の発見と共に、博物学は一般大衆の間で大流行し、珍品展示会の開催や学会の設立、彩色図鑑の出版などが大人気を博しました。それに似て、昨今はSNSで情報が飛び交い、情報の大航海(公開)時代が再現されています。素人の私の「博物学擬き」の記事もそのような時流の一例なのだと思っています。
西洋の博物学が民衆の間に流行したのと同様のことが日本の江戸時代にも起こりました。もともと「本草学」として始まった日本の博物学は西欧の博物学と基本的に同類です。江戸博物学の思想的核心は朱子学の「格物到知」(森羅万象いかなるものにも根本法則があるという思想)にありました。そして、その博物学思想は中国渡来の『本草綱目』に基づいていました。江戸博物学では古物を描き尽すこと、事物を図示し、図譜化することが目標となっていました。
夏休みの宿題で植物や昆虫の標本作りに四苦八苦しながら、次第にその形態や生態に関心を高めていった経験を多くの人が共有してきました。動植物への関心が「可愛い、綺麗」から「なぜ、どうして」へと劇的に変化するのは、動植物を手に取って観察することがきっかけになっている場合がほとんどです。本の中に真理を見出すのではなく、自然の中に真理を見出すことが夏休みの野山で始まったと思う人が少なからずいる筈です。今は野外だけでなく、インターネットの世界でも世界の真理を見出すようになっています。
図鑑は書物の中でも格段に美しいものです。昔の図鑑は画家の丁寧なスケッチが挿入され、半ば美術作品でした。今は既に歴史の遺産でしかない博物学(自然誌、Natural History)はかつて自然哲学(Natural philosophy)と並んで、自然研究の双璧でした。上述のビュフォンの著作のタイトルはHistoire naturelle, generale et particuliereであり、ニュートンのプリンキピアはPhilosophiae Naturalis Principia Mathematica。現在では図鑑に代わるものとしてAIが登場しています。そのAIもリンネ型からビュフォン型へと進化していくことでしょう。