えちご妙高にかかわる俳人たちを想う(3)

<詠まれた風景は事実を写生したものではなく、事実を再構成したもの>

  芭蕉は『おくのほそ道』本文の中で、越後の北国街道については出来事を記さず、「暑湿の労に、神(しん)をなやまし病おこりて、事をしるさず」と述べるのみで、その段の最後に二句だけ記していると述べた。その二句とは「文月や 六日も常の 夜には似ず」と「荒海や 佐渡に横たふ 天河」。

 「荒海や 佐渡に横たふ 天河」は七夕の日(新暦8月21日)、直江津湊(上越市)の佐藤元仙宅で催された句会で芭蕉が吟じたものだが、7月7日当日は終日雨が降っていた。それゆえ、芭蕉は実際にはその晩に天の川を見ていない。だが、4日は弥彦を発った朝方が快晴、夕刻に出雲崎に到着してのち、「夜中に強雨となる」とあるので、当日天候が崩れる直前、この出雲崎で天の川を見る僅かな時間があったのかも知れない。あるいは、それ以前に句の着想を得、7日の句会で吟じ、披露したのかも知れない。このような推測には証拠がある。それが曾良の『随行日記』。そこには次のような記載がある。
・7月4日(新暦8月18日)快晴。午前7時半頃に弥彦を発ち、同日午後3時半頃、出雲崎に到着、宿をとる。夜中、強雨となる。
・7月5日夜来の雨、朝まで続く。午前7時半頃、雨が止み、出雲崎を発つ。間もなくしてまた雨が降り出す。柏崎に至った後、…(中略)… 午後4時半頃、鉢崎に到着し宿をとる。
・7月6日雨、上がる。昼頃、直江津(今町)に到着。雨が強く降り、古川市左衛門宅に宿泊することに。夜、句会を催す(「文月や 六日も常の 夜には似ず」)。
・7月7日雨、降り続く。夜、佐藤元仙宅にて句会を催す(「荒海や 佐渡に横たふ 天河」)。同宅に泊まる。昼のうちは少し止んでいた雨だが、夜になると風雨ともに激しくなる。
・7月8日雨が止む。午後2時半頃、高田に到着。
 この曾良の日記は随分役に立つ。『おくのほそ道』だけではえちご妙高は省略され、消えている。
 次はこの俳句そのものへの疑問。この句は、「暗く荒れ狂う日本海のむこうに佐渡島が見える。美しい天の川が佐渡の方へと大きく横たわっている。」といった意味である。

 まず、現代仮名遣いでは「荒海や 佐渡に横とう 天の川」と表記される。「横たう」ではなく「横とう」である。また、「横たふ」は「何かを横にする」の意の他動詞であり、しかも連体形ならば、「横たふる天の川」とすべきであるが、芭蕉はこの句では「何かが横たわる」の自動詞「横たはる」の代わりに使っていて、擬人法になっている。

 これでは「横たふ」がとてもわかりにくくなるので、ドナルド・キーンの英訳によってスッキリさせておこう。俳句の英訳とは5、7、5の定型を無視するしかない不思議な作業だが、それでも愛好者は多い。「荒海や 佐渡によこたふ 天河」を、キーンは次のように英訳する。Turbulent the sea-Across to Sado stretches The Milky Way。Turbulent the sea、Across to Sado stretches は倒置がなされている。ついでながら、「文月や 六日も常の 夜には似ず」はThe seventh month Even the six does not seem Like a usual night。「7月の明日の晩は七夕だが、六日の今夜もなんだか落ち着かない」という、そわそわとした気持ちを巧みに表現している。二つの句はまるで違うことを表現していて、その対比が何とも言えない。芭蕉がえちご妙高の記述を夏バテで省略しても、これら二句の見事な対比はそれを補完して余りある。流石に芭蕉で、脱帽。