ふるさとの味

 高野辰之は信州の中野出身、室生犀星は越前の金沢出身で、共に越後に近い。その二人はまるで異なる風にふるさとを詠う。高野の唱歌「ふるさと」は、

 

うさぎ追いし かの山 

小鮒つりし かの川 

夢は今も めぐりて 

忘れがたき 故郷

 

と、ふるさとを懐かしく讃えることによって、日本人のふるさと観の原点になってきた。一方、犀星は高野とは違った心持でふるさとを詠う(『小景異情-その二』)。

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや(以後略)

 

 犀星は犀川の近くで生まれた。「犀星」はそれに因むのだろう。21歳の時、文人を目指し、故郷を捨てて東京に出た。東京では貧困の中で詩作を続け、食い詰めると金沢に帰っていたようである。

 高野と犀星のそれぞれの心情を両方とも綴ったのが石川啄木。ふるさとを懐かしみ、賛美するときもあれば、ふるさとへの恨みをそのまま表すこともあるのが人の自然な姿なのだろう。

 

ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな

石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし

 

 子規の「春や昔十五万石の城下かな」や芭蕉の「旧里や臍の緒に泣く年の暮」は子供の頃のふるさとを懐かしく思い出し、感慨に耽っている。さらに、出雲崎良寛は「山里は蛙の声となりにけり」とふるさとを心から楽しんでいるのだが、信濃の一茶となると、「古里やよるも障も茨の花」と詠んで、ふるさとの居心地の悪さをものの見事に表現している。

 このように文人たちのふるさとの描き方を見てくると、ふるさとは懐かしいものであり、苦いものでもあることがよくわかる。さて、読者諸氏にとって自らのふるさとはどのような味がするのだろうか。