釈迦の仏教から大乗仏教へ

 聖徳太子以来、日本で最も親しまれてきた大乗経典と言えば『法華経』。インドでは西暦1世紀前後に新しい宗教改革運動として大乗仏教が起こります。大乗仏教は自らの思想を表現し、布教するために新しい経典をたくさん創作しました。大乗仏教の改革者たちは新しい経典を創作し、釈迦も同じように説いた筈だという仕方で彼らの思想を展開しました。その最初の大乗経典が『般若経』。その後、多くの経典がつくられ、私たちの知っている『法華経』(クマラジーヴァ訳『妙法蓮華経』)はおそらく西暦3世紀中頃までに完成していたと思われます。
 大乗仏教運動の改革者たちは新しい経典を創作し、大衆の救いのために活動します。その理想像が菩薩。菩薩は悟って仏陀になる前の求道者ですが、新しく創作された大乗仏典の中では大衆を救う理想的なヒーローです。観音菩薩弥勒菩薩は架空のヒーローで、求道者。その菩薩たちが活躍する物語が大乗経典です。
 釈迦の教えは、苦の原因を知り、その苦から解放される、つまり悟りに達することが目的です。それは苦を作りだしている原因に対する迷妄から解放されることです。それが釈迦の悟りですが、『法華経』はそれではまだ「この上なく勝れた」悟りに達していないと主張します。『法華経』が描く理想の修行者は、苦から解放されて悟りと平安の境地に達している人ではなく、世間の人々の幸福のために、すべての人々の安楽の基となる釈迦の教えを説き示す人です。これが、単なる悟りを超えた「この上なく勝れた」悟りという訳です。
 迷信を信じるのが人間です。一般大衆は釈迦の教えを学び、厳しく修業するのではなく、釈迦の骨を収める仏舎利塔にお参りすることで済まそうとしました。大衆の救いに大きな関心を持つ大乗仏教の改革者たちは、大衆の迷信を否定せず、それも釈迦の教えと同じように積極的に受容したのです。これは、大乗仏教に特徴的な性質で、原始仏教にはないものです。やがて、仏像をを拝むことも受容され、密教では釈迦が明白に否定した様々な迷信、呪文(真言)、「火をたく護摩の術」さえも認められます。
 このように、大衆の救いに特別の関心を持つ大乗仏教の改革者たちは、釈迦が否定した様々な迷信を積極的に利用し、それによって大衆を救おうと考えました。そして、その手段として新しい大乗経典をつくりました。大乗経典は宗教文学です。文学は創作ですが、人を騙すための嘘ではなく、釈迦が教えたという伝統的仏教経典の形式を使った釈迦や菩薩が主役となる物語なのです。
 では、大乗仏教の改革者たちは、どのような根拠で釈迦の教えを創作できたのでしょうか。その答えの一つが、「巧みな手立て(ウパーヤ、方便)」という大乗仏教を特徴づける考えです。諸仏や菩薩に備わっている大衆救済のための巧みな技術が「方便」です。仏舎利塔信仰、仏像信仰、仏典信仰などの迷信を、秘かに企てられた釈迦の巧みな手立て(方便)と解釈したのです。
 悲しみや苦しみから解放されるには、その原因や条件を知り、それらを取り除くことによって達成される、と釈迦は考え、解放の手段としての迷信はすべて捨てるよう説きました。それが原始経典が伝え残した釈迦の教えでした。でも、『法華経』などの大乗の諸経典は、釈迦の遺骨に供え物を捧げる(仏舎利塔信仰)だけで、仏像を作りそれに礼拝する(仏像信仰)だけで、あるいは仏典の一節や題目を唱える(経典信仰)だけで、悟りに至ることができると主張します。これは釈迦の本来の教えを否定することですが、釈迦の教えを否定する新しい思想こそが実は「釈迦のより勝れた教え(大乗)であり、原始仏教は釈迦の教えを理解できない大衆を救う心も技術も持たない教え(小乗)であった」という巧みな方便を考えついたのです。これが、大乗仏教が釈迦の教えを否定しても、釈迦の教えである、と言われる正当化の方便なのです。
  しかし、大衆の救いのためとは言え、大衆迎合的な嘘であることに間違いありません。でも、「嘘ではない」というのが大乗仏教運動の改革者の答えでした。釈迦の直接の教えでなくても、それを受け入れることによって本来の釈迦の教えに導かれるならば、それは、究極的には釈迦の教えである、という訳です。仏舎利塔や仏像を造ったり、それらを礼拝すること自体は、もちろん、釈迦が教えたように、人を悟りに至らせるものではありません。でも、仏舎利信仰や仏像礼拝は、釈迦への尊敬心を育み、やがて、人の心に、「釈迦とは誰か」、「釈迦の教えとは何か」という問いを生む因縁になる筈です。同じように、経典の名前やその他の呪文を唱えること自体は、人を悟りに至らせるものではありません。しかし、経典の名前を唱える行為は、やがて唱える人の心に、「その経典には何が書いてあるのか」、「呪文の意味は何か」というような問いを生むきっかけ、因縁になるでしょう。「釈迦とは何か」、「釈迦は何を教えたのか」といった問いが生まれるとき、人は、本来の釈迦の悟りの道へと一歩踏み出しているのです。菩薩の巧みな手だては、こうして、釈迦の本来の教えを受け入れることのできない人々をも、釈迦の道へと勧誘するのです。そこに「大きくてすぐれた乗物」を主張する理由があります。
 釈迦の教えでないもの、釈迦が否定した事柄さえ、釈迦の道へと導きうるという主張を可能としているものは、もちろん、世界の諸現象が縁起(因果的に相互依存して起こる)関係にあるからです。迷信は迷信、釈迦の教えは釈迦の教え、とそれぞれが無関係に存在していれば、一方から他方への移行は不可能です。つまり、世界が互いに依存し合う因果関係によって成り立っているのでなければ、仏舎利信仰や仏像礼拝や経典信仰等々の迷信が、釈迦の本来の教えへの因縁とはなり得ません。様々な教えは、実のところ、釈迦の教えの一つである、という『法華経』の一乗思想は、まさに、この仏教の中心思想である縁起の思想によって裏付けられています。縁起の思想というとわかりにくいですが、どのような事柄、思想も文脈や状況に応じて解釈されたものと考えればいいでしょう。
 このように見てくると、見事な方便で折伏させられそうになるのですが、やはりどこか無理があります。釈迦の本来の悟りと大乗仏教の方便の集まりの間の整合性は決して十分とは言えません。原始仏教から大乗への移行が、仏教が宗教集団として活動するために大きな乗り物、組織が必要となり、そのために布教という観点から寺院、経典、仏像、僧侶等が必要になったのだと割り切っても、移行の必然性までは説明できません。ですから、移行は歴史的な偶然、それぞれの主張の真偽は相対的なのだと言い張ることもできます。