煙霞痼疾(えんかのこしつ)

「煙霞」はもやや霞のことで、自然の景色を指し、「痼疾」は治ることなく長い期間患っている病、持病のこと。自然を愛でる強い気持ちを病にたとえたのが煙霞痼疾。となれば、妙高を強く愛でるのが妙高痼疾。煙霞痼疾は「深く山水を愛して執着し、旅を好む性癖」のことで、芭蕉西行、能因、そして良寛たちのもつ性癖のこと。

一方、「煙霞療養」となると、都会を離れて空気の清浄なところで療養すること。尾崎紅葉の『煙霞療養』は、1899年7月1日に上野を出発し、赤倉温泉に2泊、新潟市に5泊、佐渡20日間余り過ごした旅日記で、その目的は持病を治すためだった。新潟に親戚(叔父が大蔵官僚で、当時新潟の税務署長)がいて、紅葉の健康状態を心配して、療養に来るよう再三言われ、決心した。当時は、清水トンネルがなく、東京から新潟へは高崎から長野に入り、妙高を経由して直江津に出るしかなかった。直江津までが12時間、ここに一泊して、さらに新潟まで行かねばならなかった。その初日から赤倉滞在の本文を見てみよう。

…入ってみると大変が有る。出札口に掲示して、水害の為線路毀損に付田口駅以北は普通の事、と飽くまで祟つて居るのであつた。…何とか禍を転じて福と作す工夫は有るまいか、と鉄道案内の一〇二頁と云ふのを見ると、田口駅の項に「赤倉温泉あり」としてある。

…六時三十分に垂として新潟県下越後国中頸城郡一本木新田赤倉鉱泉(字元湯)香嶽楼に着す。

…凡そ己の知る限りに、此ほど山水の勝を占めた温泉場は無いのであるが、又此ほど寒酸の極に陥つた町並を見たことが無い。

この最後の文は紅葉の実感が素直に出ていて、明治の時代の赤倉の姿が浮かび上がってくる。見事な山の風景をもつ温泉でありながら、これほどまでに貧しく苦しみの極みにあるような町並という好対照の姿を想像するのは、(妙高人には)何ともつらい気持ちになる。風景とは、紅葉が描写するようなものなのか、それとも花鳥風月、月光明媚、山紫水明、雪月花のように、人の生き様や住処が入った表現、文句がどこにも見当たらないものなのか。後者だとすれば、人は自らの姿を横において、自分たちのいない自然ばかりを愛でてきたのか。

さすがは紅葉で、自然とその中の赤倉の両方を直截に対比して、風景を描いてみせた。さて、今の私たちはほぼ変わらぬ妙高の自然とはっきり変わった赤倉の町並を見て、どのようにそれらを描写するだろうか。