2018-01-01から1年間の記事一覧

ヘクソカズラの実

ヘクソカズラの実は光沢のある黄金色をしている。ヘクソカズラは花や葉を揉むと悪臭があるので、「屁糞蔓」と名づけられた。命名者の感覚中心の、なんとも可哀相な名前である。ところが、見ているだけなら嫌な臭いはせず、花の中央が赤く、お灸(やいと)の…

実在、言語表現、感覚質経験の間のギャップ

・あること、存在すること、実在すること・感じること、見えること、聞こえること・述べること、表現すること、話すことこれら三つの何が同じで、何が異なるのか。あるいは、何が主で、何が従なのか。考えるべきことの宝庫になっていて、存在(存在論)、感…

水面に揺れるマストたち

「夢の島」とは何とも奇抜な名前で、私などつい「鬼ヶ島」を想い出してしまう。でも、江東区の「夢の島」は実際の地名であり、その大半は夢の島公園。飛行場の建設計画が挫折し、戦後遊園地が計画されたためか「夢の島」と呼ばれることになった。陸上競技場…

実在、言語表現、感覚質経験の間のギャップ(3)

<色の場合> 色はその感覚と知識の違いが際立つ例です。色が実在すると信じる画家と色の知識を追求する科学者は色について共通の理解があるのでしょうか。印象派の画家は色彩学者と意見を同じくする必要はありません。色の感覚質(クオリア)と第二性質とし…

クスノキの実

湾岸にはクスノキが多い。クスノキの名前の由来は、クスシ(薬師)と同じようにクスリノキ(薬木)から、クシキキ(奇木)から、あるいは台湾でラクスと呼ばれていたなど諸説ある。「楠」は和字で、暖地(九州地方)の木の意、樟は中国名。10~11月に実は画…

実在、言語表現、感覚質経験の間のギャップ(2)

だが、ウィルフリッド・セラーズ(Wilfrid Sellers 1912~1989)が「所与の神話(myth of the given)」論によってそれをあっさり否定してしまった。セラーズは、感覚所与(つまり、センスデータ)の信頼性とは次の二つを混同させることによって、でっち上げ…

実在、言語表現、感覚質経験の間のギャップ(1)

中世の関心は実在と言語表現の間のギャップ、近代の関心は感覚経験と言語表現のギャップ、それらの間の関係の類似性は驚くほどのもので、「もの-性質(言明あるいは知識)-感覚」の間に何があるのかは相変わらず謎と闇だけが広がり、今でも私たちの好奇心…

皇帝ダリア

キダチダリア(木立ダリア、Dahlia imperialis)は、高さ10m近くになるダリア属の種で、メキシコ、中米、コロンビアの原産。日本では学名を訳した「皇帝ダリア」の別名でも呼ばれる。その高さから「皇帝」と名付けられた。花はピンク色で直径約20㎝の大輪の…

「罪を憎んで、人を憎まず」:哲学と常識のギャップ

タイトルの「」内は、人が罪を犯すにはそれなりの理由や事情があるので、犯した罪は憎むべきだが、その人そのものを憎むべきではないという主張だが、大抵の被害者とその家族は罪だけ憎み、犯人を憎まないといった芸当は至難の業と反論する。 孔子の「孔叢子…

スイートアリッサム

スイートアリッサム(Lobularia maritima)は地中海沿岸部原産の多年草。でも、現在では温帯の広い地域で帰化している。「アリッサム」の名前で呼ばれることがあるが、これはスイートアリッサムが以前アリッサム属に分類されていた名残。現在はアリッサム属…

微積分の背後へ(6)

ε-δ論法の意義 「xが一定値aに限りなく近づくとき、yは一定値bに限りなく近づく」と言われると、なぜかわかった気がしてしまう。xやyの運動を想定してイメージしているからだろう。だが、これをじっくり考えだすと、次のような疑問にぶつかることになる。「…

ツワブキ

日本のツワブキ(Farfugium japonicum)という学名をもつキク科の植物。開花時期は10月中旬から11月末頃で東京は今が花の見頃である。葉は蕗(ふき)に似ていて、名前は「つや」のある葉から「つやぶき」、それが変化して「つわぶき」になった。花はキクのよ…

微積分の背後へ(5)

<ライプニッツの無限小概念> (1)線分を無限に分割しても点はできない、 (2)点を無限につなげても線分はできない、という(単純なようで曖昧な)数学的命題をこの世界にそのまま適用するなら、この世界の「連続体」は意味不明なものになってしまう。す…

花の狂い咲き、それとも二度咲き

花の「狂い咲き」は昔からあった。草木の花が、その季節でないのに咲くことで、通常は春に咲く花が初冬のころに花をつけることである。「二度咲き」という言葉も使われる。そんな言葉の存在は最近の新しい現象ではないことを示してくれるが、この狂い咲き現…

微積分の背後へ(5)

<ライプニッツの無限小概念> (1)線分を無限に分割しても点はできない、 (2)点を無限につなげても線分はできない、という(単純なようで曖昧な)数学的命題をこの世界にそのまま適用するなら、この世界の「連続体」は意味不明なものになってしまう。す…

コムラサキ

「ムラサキシキブ」という名前はとても印象的で、商品とすれば誰もが使いたい名前である。そのムラサキシキブの特徴を挙げれば、葉には細かいぎざぎざがあり、実の付き方がまばらで、花や実が葉柄の付け根についていて、木が大きい。それに対して、「コムラ…

微積分の背後へ(4)<流率法を巡って> ニュートン以後の微分積分学の基礎にある「無限小」に関する論争と言えば、バークリが英国の数学界に与えた批判が有名である。バークリは18世紀スコットランド哲学に大きな影響を与えた。実際、ヒュームの 『人生論』…

赤い実二種:ハナミズキとコバノガマスミ

ハナミズキは、1912年に東京がアメリカにソメイヨシノを贈った返礼として、1915年に日本に贈られたのが始まり。花が鮮やかで観賞用として街路樹や庭木に使われるが、果実は有毒で食用にはできず、葉の表面の毛も刺激性物質があるため触ると皮膚炎を起こして…

微積分の背後へ(3)

運動変化の連続性、平たく言えば、スムーズな運動変化、途切れることのない、流れるような運動変化と表現されるが、それははどのような変化なのか。この問いこそギリシャ以来多くの人が関心をもってきた謎中の謎だった。私たちの眼には運動変化は連続的な変…

隅田川の木杭

環状2号線のうち、豊洲と築地を結ぶ地上区間が暫定開通した。旧築地市場跡地は、汐留・新橋方面の地下トンネル区間と、豊洲・有明方面の地上区間とを結ぶ出入り口が設けられる予定だが、旧築地市場から豊洲市場への移転が遅れたことで、築地市場跡地に新大橋…

微積分の背後へ(2)

<無限と連続> アリストテレスの「連続性」は物理的な対象や変化のもつ連続性だった。この性質をより洗練させるには数学化が不可欠なのだが、アリストテレスにその気はない。 「微積分の背後へ(1)」で見たように、アリストテレスは無限概念を定義した。ア…

ホウジャク

昼行性の蛾で、スズメガの仲間。容姿が蜂に似ることからホウジャク(蜂雀)と呼ばれる。棍棒状の触角を持ち、全身が褐色で、後翅に黄色い模様が入る。スズメガの成虫は鋭角を持つ三角形の翅をもち、これをすばやく羽ばたかせて、種類によっては時速50km以上…

微積分の背後へ(1)

原子論(atomism)は物質の理論というのが今の私たちの常識なのだが、そんな常識がそのまま成り立たないのがギリシャの原子論で、ギリシャの原子論は自然哲学あるいは形而上学である。その原子論の「原子」とはまるで異なるのがユークリッド幾何学の最初の対…

晩秋

暦では立冬でも、妙に暖かい晩秋である。サザンカ、キク、ピラカンサがその控えめな晩秋を表現している。実りの秋がピラカンサ、秋の代表花としてのキク、そして冬の到来を示すサザンカと、それぞれの役割は微妙に違っても、今はそれらが共存している。 春と…

微積分の背後へ(0)

私たちは「ルールとその表現」で、俳句のルールとは極めて対照的な、様々な数のシステムがもつ意義について考えました。量と質を表現するには自然言語を使う以外に、数のシステムを使うことがこれまで行われてきました。そこで、それをさらに詳しく見るため…

ルールとその表現(4)

<「計算する」ことの意義> 「計算する(compute)」という述語はほぼ誰もが知っていて、実際に私たちは計算することができます。計算するとは、チューリング・マシーンを使うのであれば、左右に限りなく伸ばすことのできるテープの上の一つのマス目に0か1…

冬(の)桜

桜といえば春に決まっているのだが、秋から冬に咲くサクラも、早春に咲くサクラもある。桜が春の季語などというのは何ともあやしいものなのだ。彼らは正常に咲いているのだが、偏見に凝り固まった私たちはそれを季節外れのサクラと呼んで憚らないのだ。 冬桜…

ルールとその表現(3)

<論理の規則> 私たちは論理の規則を使って何かを考え、話し、互いに意思の疎通を図っています。その際、どのような論理の規則を使っているかなど意識していません。そのためか、どんな規則を使ったかと問われたり、より基本的に論理の規則を挙げるように求…

柑橘類

子供の頃、こたつに入ってミカンを食べるのが好きだった。老人の今はライムやカボスを絞ってジンを飲むのが好きである。ママレードは何かほっとする味である。 柑橘類はミカン科のミカン属、キンカン属、カラタチ属の植物。日本で栽培されているものには温州…

ルールとその表現(2)

定型詩としての俳句のルールは定型(5-7-5)と季語。俳句の場合、作者の信念や感情の表現が主で、事実や真理の主張は従に過ぎません。ですから、ルールはできるだけ少なく、ルールにとらわれず、作者が自由に自らの心的内容を読者にうまく伝えれば、それで…