ブッダの坐禅(禅定):精神と肉体の体育会的な鍛錬

 仏教のスタートはブッダの開悟。ブッダ菩提樹の下で座禅を組み精神を集中させ、澄心端座の後、明けの明星を見て大悟したと伝えられているが、ブッダの開悟と坐禅の関係は強く結びついている。ブッダの修行を追って座禅(禅定)の役割をみてみよう。既述のように、ブッダは出家直後二人の仙人を訪ね、修行した。二人とはウッダカ・ラーマプッタ仙人とアーラーラ・カーラマ仙人。アーラーラ・カーラマ仙人のところでは「無所有処定」を、ウッダカ・ラーマプッタ仙人のところでは「非想非非想処定」を体得。ブッダがこれらの禅定の境地を体得したのを知り、二人は一緒に弟子を率いるようにと勧める。しかし、ブッダは二人の教える禅定では悟ることはできないと申し出を断る。
 二人のもとを去ったブッダは、断食と止息(呼吸の制御)による苦行に挑戦。6年間苦行を行うが、身体を苦しめるだけで悟ることはできず、彼は苦行を放棄。村娘スジャータのさしだした乳粥を食べ、体力を取り戻したブッダは、坐禅を組み開悟に至る。彼は坐禅修行を一旦放棄して苦行に挑戦したが、その苦行も放棄し、再び坐禅修行に戻った。これは何を意味しているのか?
 ブッダは苦行は否定しても、座禅は否定していない。禅定は八正道の中の1項に「正定」として入っている。また仏教の修道論の基礎である「戒・定・慧」の三学にも禅定が入っている。ブッダはその後生涯に渡って坐禅修行を続けている。しかも、ブッダは80才で死ぬ時にも深い禅定に入って死んだ。苦行中にもウッダカ・ラーマプッタとアーラーラ・カーラマのところで到達した「無所有処定」と「非想非非想処定」の境地を思い出し、その安らぎの境地を懐かしく思い出したに違いない。
 開悟の後、ブッダが最初に悟りの内容を説いたのは5人の修行者だった。5人の修行者はかっての苦行仲間で、これが初転法輪である。しかし、ブッダが最初に彼の開悟の内容を説こうと考えたのはウッダカ・ラーマプッタとアーラーラ・カーラマの二人。ブッダの悟りの内容を一番よく理解できるのはこの二人の座禅修行者だった。だが、経典ではウッダカ・ラーマプッタとアーラーラ・カーラマは既に亡く、ブッダは5人の修行者に説いたと記されている。
 仏教の伝統的修道論に三学がある。三学とは「戒,定、慧」の三つである。戒とは戒律,定とは禅定、慧とは智慧のことである。戒律を守り,坐禅(禅定)を実践し、智慧を磨くことによって修行を行うのである。坐禅(禅定)の実践は不可欠である。禅定は原始仏教以来四禅八定が考えられている。原始仏教で説かれた四禅八定をまとめると次のようになる。
四禅(色界定)
初禅:思いと考えがあり、欲を捨てて生じる歓喜を体験する禅定
二禅:思いや考えがなく、想を捨てて生まれる歓喜を体験する。その時、全身は無想の喜楽で満たされている。
三禅:正念と正知があり、喜を捨てて生れる大楽を体験する。その時、全身は無喜の大楽で満たされている。
四禅:大楽はないが、楽を捨てて生じる清浄を体験する。その時、全身は無楽の清浄で満たされている。
(無色界定)
空無辺処:一切の想念が滅し、宇宙空間の無限性を感得している
識無辺処:識(心)とその働きは無限であると感得している
無所有処:分別意識は滅し、何ものもないと無我を感得している
非想非非想処定:あるのでも、ないのでもないと感得している
ここまでの四色界定(四禅)と四無色界定を加えて八禅定と呼ばれる。
滅想受定:あらゆる意識が滅し、涅槃を感じる
最後の段階では上層脳は殆ど活動しておらず、八禅定より更に無意識に近い禅定。
 仏教を理解するために必要な概念は「三界」。三界とは人間の精神世界を欲界、色界、無色界の3つに分類したもの。色とは肉体や物質のことである。欲界とは性欲、食欲など欲望の世界のこと。色界とは性欲、食欲などの欲望を離れ欲界の上にある物質的世界。無色界とは全く物質的なものを離れ、色界の上にある純粋精神の世界である。仏教では欲界が最下級の世界。次が色界。色界には既に性欲、食欲などの欲望がない。色(物質)には性欲、食欲などの欲望がないからである。純粋精神の世界である無色界が最上位にある。
  三界を簡単にまとめると次のようになる。

欲界:性欲、食欲など欲望の世界で、一番下の俗人の世界。  
色界:性欲、食欲などの欲望を離れ、欲界の上にある物質的世界。
無色界:全く物質的なものを離れ、色界の上にある純粋精神の世界。

 このような三界を前提に、悟りはどのように達成されるのか。脳神経系で因果律に従って縁起する色、受、想、行、識の現象の根底には無明と渇愛があるため、憂悲苦悩の煩悩が起こることを客観的に観察し、認識する。憂悲苦悩が渇愛によって起こることを理解し、根深い渇愛を八正道と三学に基づく少欲知足の生活を根気よく実践、修行することによって克服する。また、渇愛の原因となる苦の危険に近づかない。自己を形成している脳神経系で縁起する色、受、想、行、識の五蘊因果律によって生起する無常の現象で、そこには恒常的な霊魂(=我=アートマン)はない。自我の正体は因果律という自然法則に素直に従って縁起する脳内現象である。この事実を禅定体験によって正見することができれば自己の実相は無我であることがわかる。
 これを理解することが自我への執着を脱する出発点。自我への執着は長い間の生活習慣と無知に由来するもので、そこから脱するには三学(戒、定、恵)と八正道のたゆまない実践が必要。その不断の修行の過程において生命や情動を司る下層脳は活性化される。それにより生命力が活性化し情動が安定し、心に覚醒感と静かな喜びが生まれる。その結果、根深い自我への執着が滅尽され、心の安らぎと安心立命が達成、解脱と安心立命の世界が実現する。
 「寺院、仏像、経済的自立」は日本の仏教にとっては当たり前で必須の事柄。だが、ブッダにとってはいずれも捨て去るべきもの。ホームレス、偶像崇拝の禁止、乞食は出家したサンガ集団の基本条件だった。座禅を主な手段にした涅槃への解脱の途はアスリートが理論を知り、それを身体で体得し、レースやゲームに勝つことによく似ている。ブッダの精神的修行は身体を通じての訓練であり、宗教や倫理というより解脱という目標に向けての心身の訓練である。ブッダ存在論、認識論、心理学等の理論を自らつくり、それらを基礎に苦からの解放を正に体育会系の仕方で実践してみせた。この実践が哲学や倫理を超えて、宗教として後世に残ることになる。その厳しい自己節制は一流アスリートのストイックな訓練と勝つことを目標とした成就の設計に通じるものがある。やはりブッダは解脱の科学者だけではなく、解脱の偉大な実践者。
<サンガは「頭陀行」を実践するホームレス集団>
 頭陀行(ずだぎょう)とは何か。ブッダをはじめとする出家僧はサンガ(僧伽)という集団をつくり、修行生活を送っていた。彼らは自ら生産活動に従事せず、村々を托鉢乞食することによって食べ物を得ており、定住する家を持たなかった。彼らは1日に1食の質素な食事による修行生活を送っていた。衣服は捨てられたボロ切れを縫い合わせた粗末なもの。彼らは家を持たず、大樹の下や岩窟の中で寝ていた。現在ならさしずめホームレス。だが、彼らは悟りと解脱という目的を持って出家していた。その目的のために小欲知足の禁欲的修行を実践し、野外生活を行っていた。目的のないホームレスではなかった。
 ブッダは80歳になって旅の途中で沙羅双樹の間に横になり亡くなる。これは仏教徒には「偉大な涅槃」として捉えられているが、行き倒れの死と言えないこともない。後世、乞食の群れに混じって修行生活した有名な禅宗の高僧がいる。大燈国師(宗峯妙超、1282-1337)は京都五条の橋下で乞食の群れに混じって修行したという。また、乞食桃水(こじきとうすい、桃水雲渓、1605-1683)も有名である。
 初期の出家修行僧の少欲知足を理念とする修行生活は「頭陀行」と呼ばれ、次のような規則を守ることになっていた。ぼろ布を綴り合せた衣を着用し、食は乞食のみによって得る。家々を順にまわって乞食するが、えり好みはしない。坐をいったん立ったらもう食事をせず、おかわりはなく、食事は午前中一回のみ。人里離れたさびしいところ、大樹の下に住む。床の上や屋根の下には住まない。また、露地の上に住み、死体捨て場に住む。たまたま手に入れた座具や場で満足し、いつも坐ったままでおり、決して横にならない。
 頭陀行は出家修行者の理想的な生活態度とされた。小欲知足の頭陀行は、感覚を満たし、感情を煽る世俗の生活から離れるための方法である。この禁欲的生活によって渇愛や欲情から離れ、煩悩が消滅し涅槃に近づくと考えられた。このような頭陀行を実践した仏弟子として有名なのはマハーカッサパ摩訶迦葉)で、ブッダの死後サンガの実質的なリーダーになったと考えられている。
 このような修行生活はインドのような暖かい地域だから可能だった。日本、中国のように冬の寒い風土では野外生活は寒くてできそうもない。食事も乞食に依存して生きる生活もインドのように修行者を支える社会風土ゆえに可能だった。その後時代が下がるにつれ仏教教団も国王や富豪の庇護を得て立派な僧院が建てられるようになる。こうなると僧院などに定住した修行生活に変化していくのである。
 ブッダに始まる初期仏教徒の原点は、頭陀行に見られるような小欲知足の禁欲的修行生活、いわばホームレス的修行生活にあった。ブッダの仏教の原点を論じる時、これは忘れてはならないことである。