欲についてのシャカの悟りを理解する

 「欲の善し悪し」と題して書いた内容にびっくり仰天の向きが多いのではないか。欲の否定は生の否定につながるが、その欲を否定したのがシャカの思想で、大乗仏教とは全く異なる。この考えを別な仕方で理解するために、シャカ自身の修行を通じて見直してみよう。

 シャカ(釈迦、ゴータマ・シッダールタ)はシャカ族のカピラ国の王子で、シャカ族国家の統治が期待されていた。頭脳明晰な彼は武力による弱肉強食と政治の騙し合いに耐えられず、哲学的な憧れから出家修行の道を選ぶ。真理探究の修行を通して、悟りを開き、苦悩や葛藤を解決したいと望み、彼は妻子を捨てる。

 『中阿含経羅摩経』(原始経典)にある釈迦の回想によれば、大乗仏教が目指す「一切衆生を救うため」ではなく、「無病、無老、無死、無憂寂、無穢汚なる無上安穏の涅槃」を求める個人的な真理探究が彼の出家の理由。大乗仏教は苦しむ衆生を救うことが目的だが、シャカの出家の目的は彼自身の苦しみを解決するためだった。

 シャカの6年の求道の旅で最初に師事したのはアララ仙人とウッダカ仙人。アララ仙人(アーラーラ・カーラーマ)もウッダカ仙人(ウッダカ・ラーマプッタ)もバラモン階級に属する正統派の思想家ではなく、禅定(座禅)修行に専念する自由思想家だった。シャカが最初に訪ねたアララ仙人は「無所有処(何物も所有することがないという境地)」に達し、その禅定修行を指導していた。『中阿含経羅摩経』によれば、アララ仙人のもとで禅定修行したシャカは間もなくアララ仙人の説く法を習得する。だが、アララ仙人の指導に満足できなかったシャカは、次にウッダカ仙人を訪ねる。ウッダカ仙人は「非想非非想処(思いがあるでもなく、無いでもないという境地)」に達していた。ウッダカ仙人のもとで修行したシャカは、すぐにウッダカ仙人の説く法も習得する。だが、シャカは満足できなかった。

 29才で出家したシャカが開悟するまで6年を要した。かれは山にこもり、激しい断食に挑戦する。1日にナツメの実1粒から始め、次は1日に米1粒、さらに1日にゴマ1粒と食事量を減らし、最後にはすべてを断つ。だが、彼は悟りを得ることができなかった。インドでは肉体を苦しめ、修行することは宗教的な力を蓄積すると信じられていた。特に、断食をすれば神秘的な力が獲得されると信じられていたため、シャカは自らの命を賭して壮絶な実験を行った。

 そして、終にシャカはこのような苦行から何も得られないことに気づく。そこで、彼は苦行を捨て、吉祥草を敷き菩提樹の下で座禅を始める。ある日、彼は深い禅定に入ったまま、夜を徹して坐禅を続けた。そのまま早朝に至り、ふと眼を上げて暁の明星を見て大悟し、ブッダ(覚者)としての自覚を得た。シャカ35才の時である。

 シャカが最初に説法をしたのは開悟して実に5週間後。開悟の後、最初の一週間彼は菩提樹下で解脱の喜びと楽しみをかみしめながら座禅していた。第2週目にはアジャパーラ榕樹(バンヤン)の下に移り7日間を過ごした。第3週目にはムチャリンダ樹の下で7日間を過ごした。第4週目にはラージャヤータナ樹の下で7日間を過ごした。第5週目にはアジャパーラ榕樹の下に移った。

 では、シャカは開悟後5週間もの間菩提樹などの樹下で何をしていたのか。1カ月間は自分の悟りの内容を体系化し、それを分かりやすく説法する準備をしていたのではないか。なぜなら、初転法輪の説法の内容が極めて論理的で首尾一貫した思想として整備されているからである。相応部経典の中でシャカは「世の人々は五つの感覚器官の対象を楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている。それらを楽しみとし、それらを悦び、それらに気持ちを高ぶらせている人々にとって、縁起の道理は理解しがたい。」と考える。続いて、「すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと、欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃であるというこの道理も理解しがたい。」と述べる。

 シャカが体験した涅槃とは何か。この経典には仏教の最終目的である「涅槃」が定義されている。その定義は「すべての存在の静まること、すべての執着を捨てること、渇欲をなくすこと、欲情を離れること、煩悩の消滅すること、それが即ち涅槃」である。この「涅槃」の定義のなかで、「すべての存在の静まること」はどのような意味か。それは、深い禅定に入って雑念が消滅することを指していると考えられる。そのように考えれば、「坐禅の修行によって、すべての執着を捨て、渇欲をなくし、欲情を離れ、雑念や煩悩が消滅すること、それが即ち涅槃である」と言っていることになる。これが涅槃の定義なら、大乗経典とは随分と異なる。私たちもこれを涅槃、解脱、悟りなどとは呼ばないし、少なくとも私たちが共有する大乗仏教の「信仰」とは異なっている。