夏の思い出

 暑かった夏が過ぎ、秋が浸透し始めている。いつの間にか9月も下旬で、稲刈りも終わりである。久し振りにきっぱりした青空を見ると、夏の名残を見ることができる。日陰の中は妙に涼しく、そこでは行く夏を思い出してしまう。

 文脈や状況に応じて植物の印象は大きく変わり、季節を代表する風景は意外に少ない。それでも、私たちはそれぞれの記憶の中に子供の頃の季節の風景をもっている。画像の幾つかは私の夏の風景の典型として記憶に刻印されたもの。

 青と緑の組み合わせ、そしてそれに黄色が加われば、私の夏の色なのだが、そんな夏を思い出すのは大抵夏が過ぎ去ってからである。だが、誰もが「夏の思い出」で思い出すのは上越市生まれの詩人江間 章子(えま しょうこ)の詩で、「夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬(おぜ) 遠い空…」である。

 辞世の句となれば、芭蕉の「枯野を駆けめぐる」句が思い出されるが、「枯野」どころか、緑の「夏野原」を選んだのが北斎の辞世の句「人魂で行く気散じや夏野原(多田道太郎に従うと「悲と魂でゆくきさんじや夏の原」、「気散じ」は気晴らし)」。人魂となって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようかとは北斎風の夏の思い出。

 それぞれの人にそれぞれの夏の思い出があり、それが人の記憶や追憶の大きな特徴になっている。