表現の物語化

 

 「絵画は語られないとその意図、意味を読み取れない」、「パフォーマンスは思想を背景にして正しく理解される」、「宗教と生、宗教と性は個別の人生の中で結びつくことによって納得できる」といった言明表現を通じて、理論、知識、意識、物質、出来事等がまとめられ、作品が物語化されます。これは私たちの日常生活でのコミュニケーションのやり方と同じで、情報内容を物語(narrative)として相手に伝え、物語を使って相手を説得したり、騙したりすることと何ら変わりません。私たちは物語として世界を理解して生きています。嘘をつくには物語を駆使して相手を信用させることが不可欠です。私たちの行為はナラティブの中で意味を与えられています。動機、原因、結果、目的等の概念も文脈や状況の中で意味を与えられますが、そもそも文脈や状況も物語の中で切り取られる文脈や状況なのです。

 より根本的で、重要な問い「何が表現の物語化に不可欠なのか、物語化のための文脈は何か、物語化のための知識は何なのか」に対して、意思や意図、そして欲求が因果的な物語創作の最重要の原動力になっているという答えを三つの例を通じて確認してみましょう。私たちの心の働きは物語と結びつくことによって機能しているのです。また、物語は常に歴史へと広がり、物語のつなぎ合わせが歴史となっていきます。

 

(1)ラス・メニーナス(女官たち)を物語る

*Las Meninas  1656-57年 318×276cm | 油彩・画布 | プラド美術館マドリッド

 スペインバロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの不朽の名作が「ラス・メニーナス(女官たち)」。スペイン国王フェリペ4世の皇女マルガリータと女官たちを描いた集団肖像画で、描かれた内容から「ラス・メニーナス」と呼ばれるようになりました。制作された当初は「家族の絵」、あるいは「王家一族」と呼ばれていました。画面中央には豪奢な衣服に身を包んだ皇女マルガリータとその女官ドーニャ・マリア・アウグスティーニャ・デ・サルミエントが描かれています。その周囲には左からドーニャ・イザベラ・ベラスコ、矮人マリア・バルボラ、一匹の犬を踏みつける矮人ニコラシート・ペルトゥサートが配され、後ろには王妃侍女であるドーニャ・マルセーラ・ウリョーアと、顔に影がかかるドン・ディエゴ・ルイス・デアスコーナが控えています。そして画面の一番奥の鏡には国王フェリペ4世と女王マリアーナが描かれ、この情景を温かく見つめています。さらに画面左側にはベラスケス本人が筆をもちながら、カンバスに国王夫妻の肖像画を描いている姿がみえます。

 このようにベラスケスの絵画が言葉によって語られることによって、何がどのように描かれているかがわかります。これは絵画が解釈されることによって理解できることを示していますが、絵画を解釈することによって理解するとは不思議な物言いです。解釈するのではなく鑑賞することがあってこその絵画であることを思い出すなら、物語られる絵画は見られる絵画という常識に反しているように思われます。でも、見られる絵画が何かを言葉で表現しなければ、絵画が見られたかどうかさえ本人以外にはわからないのです。古典絵画を見る作法は語られることによって教育され、それに従って鑑賞行為が成り立っているのです。

 

(2)あるフェミニズムを物語る

 思想が人を惹きつけ、大きな力を発揮できるのはなぜでしょうか?かつて私たちの祖先の心が神話や物語に魅了され、その虜になったように、思想も物語の要素を色濃く含み、近代人の心を掴んで離さなかったからです。思想は理論というより物語です。思想は真偽だけでなく、私たちの価値観や欲望を含んだ行動の規範、指針でもあります。そのような思想の威力の一端を最近のフェミニズム思想を探ることによって実感し、「思想の力はそれがもつ物語の力である」ことを吟味してみましょう。

Carolee Schneeman Interior Scroll, 1975 Gelatin silver prints 11 x 14 inches each, 13 total Courtesy of Carolina Nitsch and Elisabeth Ross Wingate, NY Photo: Anthony McCall

http://hyperallergic.com/232342/forty-years-of-carolee-schneemanns-interior-scroll/

 写真や絵画のような映像が主義主張を訴えることができるのは、その写真や絵画がメッセージをもち、それを私たちが感じるからです。自らの性器からなにかを引きだす行為は神経症的で、私たちを強く惹きつけます。裸の女性が股間からなにかを引き出している行為を目の当たりにすれば、そこでの問題が女の性に関係していることが直接に、そして明瞭に伝わってきます。シュニーマンは、西洋社会が長いあいだ覆い隠してきた秘密を暴く鍵を示しています。

 西洋の文化および社会を形成してきたキリスト教は性を忌み嫌います。自らの肉体をあらわにさらすシュニーマンの行為は、肉体を、そしてとりわけセックスを邪悪なものとし、そのおぞましい衝動へ男を誘惑する女性を憎み嫌ってきた「キリスト教独特の神経症」に対し、同じく神経症的に反抗してみせたと考えることができます。セックスを恐れ、忌み嫌うために女性を嫌悪する文化構造に対して、シュニーマンらの西洋人女性が引き起こしたのがフェミニズム運動でした。シュニーマンが体内から引き出すものには文字が書かれていました。では、書いたのは誰か。その候補として暗示されるのは、フロイトによって〈去勢された欠如〉という女性器、ロゴスからはもっとも遠い位置におかれてきた子宮以外には考えられません。言葉をもつはずのないもの、西洋においては独自の存在さえも否定されてきた女性のセクシュアリティ、その核心にある子宮が言葉をもち、メッセージを発しているという、西洋ではあり得ない物語を、シュニーマンのパフォーマンスは演出しているのです。

 西洋世界は女性的なものを嫌悪し否認する伝統のうえに成り立ってきました。さらに、精神、ロゴスが男の崇高なる武器として認識されて以来、男たちは精神が勝利する以前の原初的世界を蔑視すると同時に怖れ、そうした状態にだけは決して戻りたくないと思い、世界を支配する歴史を進めてきました。大雑把にまとめるなら、西洋では男性か、さもなければ「沈黙する他者」が存在し、物言う女性は存在しないことになります。でも、実際は美しく魅力ある女たちが西洋には溢れていて、女性美の規範となって世界中に流布されているように見えるのはなぜなのでしょうか。ここに西洋の男性的視線が、性や快楽に関する女性のすべてをまず否定し、新たに男性的欲望の共犯者となるべく交換価値をそなえた女性的規範を生み出すという、男性の傲慢なメカニズムが見て取れるのです。

 

(3)禅と生と性を物語る

 仏教では出家者に性的禁欲を求めます。在家者にも、不邪淫戒に見られるように一定の性的抑制を求めます。でも、日本の仏教では性に対する規範的な抑圧は強いものではありませんし、それは過去も同じです。日本に仏教が伝わってきたとき、まず注目されたのは、その呪術力、特に国家を鎮護する力でした。このような呪術力を重視する信仰は、世俗の価値規範は否定するのではなく、その実現を助けるものです。浄土教思想は、現世の価値を否定して来世を欣求するものですが、自力による煩悩の消滅を求めることはなく、現世において欲望に支えられて生きることを前提として認めています。そこでは欲望は批判されるものですが、否定されるものではありません。このような欲望の存在を認めてしまう姿勢は、日本の仏教の特質というよりも、日本の文化にそもそも欲望を肯定する姿勢があり、それが仏教の受容に影響したと考えた方がいいのでしょう。こうなると、煩悩は仏教にとって解脱への最大の障害なのですが、欲望はその煩悩と両立可能だとしたのが日本の仏教ということになります。

 このような日本仏教の存在は、欲望を強く抑圧しないことから、逆に欲望を強く意識することもありません。性を強く抑圧することによって、エロティシズムの文化が生み出されるとすれば、日本の仏教にはそのような展開がないということになります。でも、個々の僧がエロスに関して重要な役割を果たした事例があります。

 それが一休宗純(1394-1481)で、彼は臨済宗大徳寺派の僧です。一休宗純は徹底的に反俗的な姿勢を貫き、その個性的な主張と表現を多くの詩に残しました。その漢詩集が『狂雲集』。一休は、臨済の伝統を守る禅僧を激しく攻撃し、僧としての規範を逸脱する生き方に禅の自由を求めようとしました。一休は、男色はもとより仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女や岐翁紹禎という実子の弟子がいました。

 

住庵十日、意忙忙たり/脚下の紅糸線、はなはだ長ず/他日、もし君来たってもし我を問わば/魚行酒肆、また淫坊(僧らしい暮らしをしているとせわしない。色気がでてくるというものだ。あなたが「わたしがどこに往ったのか」尋ねてきたら、料理屋、酒屋、女郎屋あたりにいるだろう。)

 

さらに、一休は「狂雲(一休の自称)、だれか知る、狂風に属することを」と述べ、絶対的な自由を打ち出します。さらに、「今夜、美人、もし我に約せば/枯楊、春老いて、さらにひこばえを生ぜん」と記し、若い女性に抱きつかれたら、受けて立つぞ、という姿勢をとります。でも、このような一休の表現はエロティシズムそのものの主張ではなく、禅者の自由な境地を表現するための方法として利用されているだけです。しがって、随分と観念的なエロティシズムです。ですから、壮年期までの一休の破戒は、宗教的な方法の一つなのです。でも、晩年一休は森女という盲目の女性と交流を持つようになります。そこでは性は観念的な意味で捉えられておらず、相手は単なる性的な対象ではなく、特定の女性として存在しています。