前回の話によれば、市民は不誠実な門徒、氏子だということになるのですが、それこそが日本の神仏習合の特徴ではないかと言うのが私の考えです。それを今回は述べてみます。
親鸞が「神祇不拝」と言い、末法の世の「真俗二諦」を否定することに関心を寄せる人が必ずやいる筈です(三木清『親鸞』、青空文庫で読むことができます)。「真俗二諦」とは真諦と俗諦の二つを指し、諦(たい)は真理のことです。真諦は仏教の悟りに関する真理を、俗諦は世俗的な真理を意味しています。
イスラム原理主義、一向一揆、中世のカトリック教会の権力、釈迦の社会離脱等々を並べ、それらを眺め回すと、門徒、氏子、市民がそのまま争うことなく、併存して生活できる社会は、ヨーロッパでは実現したことのない不可能な世界に見えます。でも、越後の農村に生まれ育った私は、その習合社会が実はとてつもなく斬新な社会で、持続可能な人類集団の未来形なのかも知れないとつい夢想してしまうのです。
長い歴史を持ち、今では人気のない「二重真理説」と、法然や親鸞の鎌倉新仏教で注目され出した「真俗二諦論」はよく似た特徴を持っています。世俗的な世界についての真理と、神の世界についての真理とは共存可能であるというのが両方の共通主張なのですが、多様で、多重な真理をうまく調和させてきたのが神仏習合の考えであり、それが発展した形が「異知識習合」、今風には「異文化習合」とその理解となるのではないでしょうか。
異なる意見、立場、主張、さらには異なる理論、歴史、文化、そして異なる宗教と挙げていくと、最後には異なる人々、異なる個人にまで行きつき、異なることが実は人々の社会生活を支えていることがわかってきます。それと同時に、人々の間に共通するものも存在することが見えてきます。言葉、知識、習慣、文化、歴史等々、私たちは共通するものによって互いをわかり合い、知り合ってきました。「異なるもの」と「同じもの」が適度に混じり合うことによって人間社会は成り立っています。そして、私たちが何かを知り、何かを理解するためには、異なるものと同じものを適切に見極めることにあることがわかってきます。
そんな形而上学的な枠組みの中に日本の神仏習合を置いた場合、異なるものと同じものの混淆を発見することになるのではないでしょうか。神道、仏教、儒教という複数の宗教と知識の混淆形態の変遷が日本の歴史の一側面となってきたのではないでしょうか。その日本でも明治以降の科学的知識については宗教との習合はできておらず、科学と宗教の対立は他の国々とほぼ同じ状況にあります。つまり、門徒と氏子はいつでも二役可能なのですが、科学者と門徒、あるいは科学者と氏子は時にはいずれかを選択しなければならなくなり、これは他の国と同じです。そのような場合に使われる常套手段は、科学は外の物理世界に、宗教は内の精神世界に適用され、習合することはないという考えです。とはいえ、心の世界は脳の世界として捉えられ出し、脳の世界は物理世界の一部ということになり、精神世界の独立した存在が揺らぎだしているのも否定できません。
門徒や氏子を区別しないで呼ぼうとすれば、例えば「市民」です。人間、人、住民、県民、国民など、様々に呼ばれる人を区別することなく、等しい仕方で呼ぶことは私たちが平等社会をつくる際の基本中の基本です。その基本から、別々の特徴をもつ集団が生まれ、それに対して異なる呼称が使われ、等しい中の相異として人の社会ができてきました。市民の中に門徒がいて、氏子がいるという訳です。ですから、門徒も氏子も共に市民であり、多くのものを共有しています。そして、神仏習合とは、市民の中に門徒であり、かつ氏子である集団が存在し、時にはそれが大集団になるということなのです。
上の「市民」が門徒であり、かつ氏子でもあるのは誤謬の結果なのか、寛容の結果なのか、西欧と日本では意見が分かれ、日本では寛容の結果と寛容に判断されてきましたし、それは今でも変わらないようです。門徒であり、かつ氏子である市民は不誠実ではないというのが日本の神仏習合なのです。