小千谷の縮問屋に生まれた西脇順三郎は高価な英書ばかり読んでいました。そのためついたあだ名が「英語屋」でした。彼は洋書と英語への偏愛ぶりを「舶来の本は実にいい香りがしてシャボンのようだと述べています。少年の夢は英語で「欧米人と同じように考え、話し、書く」ことで、自閉症的、偏執的な言葉至上主義は入り組んだ配線盤や回路の機械いじりに没頭するように言語の工学を追求させ、楽しみ、言語を工学的構造としてとり扱う感性を磨くことになります。そして、その修行が彼を詩人にしたのです。
日本文学の水気、湿りを嫌い、「抒情詩を読むと風邪をひく」と書いた西脇はギリシャ語、ラテン語から英語を含むインド・ヨーロッパ語族を深く愛しました。1925年にロンドンで刊行した第一詩集『Spectrum』は全篇英語で、『Ambarvalia』にはラテン語詩が入っています。でも、1947年に自分の内面に潜むものを「幻影の人」と名付け、女性的なものに注目し、『旅人かへらず』を発表し、水と湿り気が淋しさを醸成する日本的感性の詩を発表します。その後も、『失われた時』、『豊饒の女神』、『えてるにたす』などの一連の詩集により、ノーベル賞候補にも名を連ねました。
普遍的で、理性的な『Ambarvalia』は、戦後に『旅人かへらず』の湿った風土の記憶のもつ原始的なものへと回帰するのですが、脱ふるさと化された世界はふるさとへと淋しさと共に帰巣することになるのです。