伝説の熊坂長範を描き直す「烏帽子折」と「熊坂」

 熊坂長範の伝説から能へと芸能化される際に、人々は伝説の何に注目し、何を表現しようとしたのでしょうか。昔話や伝説が能や歌舞伎に作り変えられていく訳ですが、それを動機づけた人の思いが凝縮している筈で、そこに私たちは祖先たちの本性を垣間見ることができるのです。長範伝説の何が人々を惹きつけ、それを芸能として表現し直そうとしたのでしょうか。それを能の場合に見てみましょう。

 熊坂長範を扱った「烏帽子折」は「現在熊坂」と呼ばれ、夢幻能の「熊坂」は「幽霊熊坂」と対比して呼ばれてきました。「烏帽子折」では、斬り合い、チャンバラの場面が見どころになっています。熊坂長範は大太刀を持ち、その他11人が太刀、薙刀を持って牛若丸に斬って掛かります。「烏帽子折」は(この世で進行する)現在物の曲で、牛若丸、熊坂の手下が登場し、夜討ちの場面が派手に演じられます。アクロバティックなチャンバラによって観客を魅了するのが「烏帽子折」です。それに対して、「熊坂」は熊坂長範の霊であるシテが長刀を持ち、彼の記憶の中の舞台で、やはり縦横無尽に動いて夜討ちの場面を再現して見せるのです。同じような立ち回りでも二つの能は違っています。「烏帽子折」の派手なこの世の戦いに対して、「熊坂」の戦いは長範を弔うためのもので、特定の誰かを恨み、呪うものではありません。

 石川五右衛門、鼠小僧と並ぶ大盗賊が熊坂長範で、東洋のロビン・フッドと言えないこともありません。熊坂が主人公の演目に「烏帽子折」、「熊坂」があり、金売吉次という商人が熊坂に襲われるのですが、襲った彼は吉次と同行していた牛若丸に討たれてしまいます。その経緯の物語が「烏帽子折」です。そして、その後日談の物語が「熊坂」です。熊坂長範は平安時代に生きた伝説の大盗賊です。「熊坂」のヒーローは牛若丸であり、悪いことは悪い、悪い奴は悪い、というメッセージを明確に表現しています。ですから、改心しない熊坂長範は牛若丸に退治されるのです。死後、熊坂長範の霊は生前の悪業のために誰も弔ってくれないことを嘆きます。死んだからこそわかったことを、死者がメッセンジャーになり夢の中の出来事のように伝えるのです。これは能ならではの独特の手法です。

 昔話、言い伝えなど、ふるさとに残る物語を材料にして、巧みにそのシナリオを練り直し、思想、宗教などを込めて芸能化することが歴史的に行われてきました。その代表的な芸能形態が能と歌舞伎です。ローカルな昔話や伝説がそれら芸能によって人々に歓迎され、流行し、全国的に知られることになります。では、知られることなく埋まったままの物語はどうなっているのでしょうか。過疎化によってふるさとが滅んでいく中には伝説や昔話の消滅も含まれています。ですから、ふるさと創生の中に伝説や昔話の掘り起こしと、記録として書き残すことが求められている筈です。そして、そこから新しい芸能が様式も含めて生まれるかも知れないのです。

*立烏帽子を激しく動いても脱げないように折り畳んだものが折烏帽子。

*「芳年武者旡類(よしとしむしゃぶるい) 源牛若丸 熊坂長範」明治16年(1883)

月岡芳年(つきおかよしとし)は江戸に生まれ、社会制度や価値観などが大きく転換した幕末・明治の激動期に大衆の人気を集めた。

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