The Midnight Skyを観て、まず感じたこと

 上映前から注目されていたThe Midnight Sky(直訳すれば、「真夜中の空」)が昨夜Netflixでスタートした。多くの人が観たに違いない。

 髭のアウグスティヌスを連想させる老いた科学者オーガスティンと謎の少女アイリスの北極での共同生活と、木星の衛星K-23 から移住可能という成果をもって帰還する宇宙船Aetherの乗組員サリー(アイリス)とオーガスティンの親子関係とが交錯し、オーガスティンは宇宙船がK-23に戻るように説得する。少女はオーガスティンの幻想と考えてもよく、彼の娘サリーの子供時代の姿に重なっている。

 リリー・ブルックスダルトンの処女長編作品『世界の終わりの天文台』(原題:”Good Morning, Midnight”)を一部変えながら、制作されたSFははいわゆるポストアポカリプスものだが、滅亡の絶望ではなく、地球にいる家族への愛と、K-23での新しい家族への愛という二つの異なる家族愛、滅亡への愛と滅亡からの愛が描かれている。寒く、冷たい北極、宇宙空間が舞台でも、絶望ではなく、希望が慎ましく表現されている。

 地球上の家族への愛は操縦士のミッチェルが代表しているのだが、そのミッチェルがアイリスの胎児の名前としてヒヤシンス(Hyacinth)を挙げている。これが何を意味しているか、よくわからなかったのだが、アイリスもヒヤシンスも水や空の青色を象徴しているのかも知れない。

 全体を通じて家族の絆、人の絆があちこちに垣間見えるのだが、それは以前に観た「The Descendants(ファミリー・ツリー)」につながるもので、SFでありながら、人は家族を通じて繋がり、それが愛や希望の源であることを主張している。