コロナウイルスに感染することは自然なことなのだが、その感染を防ぐこともまた自然なことだと思われている。生死は大抵自然なものと自然でないものが混ざり合っていて、生まれることや死ぬことは時には自然なことであり、時には不自然、また時には反自然だとされてきた。
そんな区別を念頭に置けば、今咲いている画像の花たちは何か不自然な感が否めない。いずれもクリスマスの時期に咲く花たちではない。「狂い咲き」とは見事な表現だが、最近は狂い咲きが多過ぎて、自然な咲き方だとした方がよい場合が増えている。今咲くのは気候の変動だと言われるのだが、それら花たちが自然に咲いているのだとすれば、誰も何も訝るものはなくなるのだろう。
動物園や植物園の生き物たちが不自然な生き方を強いられているだけでなく、私たちが食べている野菜や穀類、肉や魚の多くが不自然な生産のされ方をしていると老人の私などはつい考えてしまう。子供の頃のトマトやキュウリは夏の野菜であり、秋や冬には食べることができなかったが、今では年中食べることができ、いつの間にか、それが自然なことになってしまった。
遺伝子の組み換えは暫く前までは反自然の事柄で、神の領域にあった。しかし、それも生物学の進展によって自然なことになっている。こうなると、人の生死に関する自然、不自然、反自然の間の垣根は崩れ、その結果、人の本性(Nature)も可変ということになる。
そんな妄想は横に置き、周りを見ればアメリカオニアザミ(セイヨウオニアザミ)、ホトケノザ、イヌホオズキ、ツツジ、そしてシロツメグサが咲いている(画像)。いずれもクリスマスに咲く花ではないが、それが自然に見えるのが今の世界の不自然であり、それがいずれは反自然に繋がるのかも知れない。これもまた老人の愚痴。