初詣の好み

 私たちの初詣は神仏習合というより、神仏混淆、宗派無視が当たり前で、私のような昭和の団塊世代には少々気になるところ。とはいえ、私自身、神社に参り、その足で寺に向かうという子供の頃の記憶がしっかり残っていて、物心ついて以来、ずっと神仏習合の世界に生きてきたのだから、大した違和感ではない。それでも、少しは気になるのだ。

 成田山新勝寺真言宗浅草寺はもとは天台宗、川崎大師は真言宗で、いずれも私の宗派ではない。初詣の参拝者数がトップの明治神宮神道で、初詣に神仏の違いはない。そんな中で、築地本願寺浄土真宗で、境内の端にある親鸞像を見ると妙に落ち着くのだ。

 神社に違和感はなくても、天台、真言の宗教行事には違和感が無くならない。築地本願寺真宗の雰囲気を感じると、これが仏教の寺だと妙に得心してしまうのだ。宗派によって仏に違いはない筈なのだが…

 では、他の宗教はどうだろうか。大晦日や新年に教会に行くことに抵抗感はあるだろうか。これが不思議なことに、新年のミサは何とも新鮮で、気持ちがいいのは私だけではないのではないか。クリスマスのミサに比べると、大袈裟でない新年のミサはなぜかしっくりいくのである。だが、キリスト教においても仏教と同じように、カトリックプロテスタントでは随分と異なる。そもそもプロテスタントでは「ミサ」ではなく、「礼拝」と呼ぶ。

 こうなると、初詣は私の個人的な好みが表に出てくるようで、自らの宗教観が炙り出され、それがまた気になり出すのである。