本地垂迹説による神仏習合とそれを実現した各地の修験道や権現社の信仰について、私にはよくわからないと述べたのですが、誤解を生みそうなので補足しておきます。
新年に神社やお寺に参拝し、神と仏をそれぞれ拝むことは私にも経験があり、それはわからない訳ではありません。神社や寺に参った後で、教会の新年ミサに出席することも私には特別不思議ではありません。これは自分が多神教の信者であればこそ可能なことで、それが多神教のメリットだと思っています。
私がわからないと不満を表したのは、仏の仮の姿が神であるという神仏習合の主張を受け入れて、仏と神を拝むことなのです。神社で拝んでいる私は仏を拝んでいるのでしょうか、それとも神を拝んでいるのでしょうか。いずれを拝んでいるのか不可解という結果をもたらす危険が神仏習合にあり、神と仏を判然と区別し、別々のものだと分離することが必要だと考えたのが明治政府でした。それが行き過ぎて、廃仏毀釈となる訳です。神仏分離によってそれぞれを別々に拝むことは今でも普通の日本人が平気で行っていることで、私もその一人なのです。ですから、新井別院に参拝し、その後に関山神社に参拝することは奇妙なことではなく、それぞれ仏と神に対して別々に拝むわけです。ところが、関山権現となると、仏が神の姿を使って祀られている訳ですから、私は仏を拝んでいるのか、神を拝んでいるのかわからなくなるのです。
旧約聖書とコーランは共通の話をたくさん持っています。もちろん、相容れない部分がより重要で、ある部分は習合し、別の部分は分離していても、基本的には対立している訳です。そのような対立関係が仏教と神道の間にあるのか問い直してみると、何とも曖昧模糊としているのです。ですから、神仏習合と神仏分離の違いも案外僅かで、そのため神仏対立ができないのかも知れません。