秘仏と御開帳(4)

善光寺妙高堂の阿弥陀三尊像

 寺院や神社の奥にあって、秘仏や祖師開山を安置する場所が「奥の院」で、唐招提寺奥の院戸隠神社の奥社、そして関山神社の妙高堂などです。その妙高堂には木曽義仲が1181年に妙高山頂に奉納したと言われる善光寺式の阿弥陀三尊像(阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩の三尊は善光寺阿弥陀三尊と呼ばれ、日本最古の仏像とされる信州善光寺の本尊を模した一光三尊形式の阿弥陀如来像のことで、「善光寺如来」とも呼ばれる)が祀られています。妙高堂の別名は関山神社善光寺で、戸隠神社と並んで神仏習合の神社であることを物語っていますが、明治の神仏分離後、妙高堂は妙高山中に祀られていた他の諸尊も一緒に安置するため建立されました。

 木曽義仲が祀ったと伝えられるのが弥陀・勢至・観音の金仏三尊です。妙高山頂には九尺四方の阿弥陀堂跡があり、三尊はそこに安置されていました。1182(寿永元)年の横田河原合戦の後、義仲は越後に入り、妙高山に登り、護念仏の阿弥陀三尊を納めたと伝えられています。戦国時代には上杉謙信も帰依し、出陣の折に妙高山山頂へ登り、堂に籠り、戦勝祈願をしたとされ、その後は南方山講が名代として参拝し、現在も引き継がれ行われています*。妙高堂は明治28年(1895)に火災により焼失、大正15年(1926)に再建されています。

https://blog.goo.ne.jp/kasuga_tate/e/a5cb4ccb91a8a69efb7766e811145ed6春日神社 上越市(越後高田)

 妙高三尊は鎌倉時代末期に製作されたもので、中尊である阿弥陀如来像(銅製、像高58.2cm)は昭和53年(1978)新潟県重要文化財に、脇侍である勢至菩薩像(銅製、像高41.0cm)、観世音菩薩像(銅製、像高41.1cm)は昭和50年(1975)妙高市指定文化財にそれぞれ指定されています。

 さて、善光寺の本尊は絶対の秘仏ですから、写真もありません。御開帳されるのはお前立ち(本尊の身代わり)で、本尊の厨子が開くことはありません。お前立ちは鎌倉時代の作で、本尊と同じ姿と言われていますが、当然確認はできません。でも、お前立ちと同じ姿の像は関東地方を中心にたくさん残っています。善光寺の本尊は日本で最も古い仏像と信じられていて、仏教の原点回帰の気運の盛り上がった鎌倉時代にその模造が大流行しました。6、7世紀に朝鮮で造られた三尊像は善光寺の本尊と似ていると推定できます。

 神や仏の姿恰好、声、気配など、人が当たり前にもつ身体的、心理的な特徴を神や仏に見出そうとしても、それらが存在しないというのが神や仏だとする宗教もあれば、人と変わらない姿、心をもち、人と同じように生活する神をもつ宗教もあります。いずれであれ、私たちが見ることができず、触ることもできない神や仏の偶像はとても厄介な存在形態をもち、人との情報伝達が大いに制限されることになります。