釈迦の合理的な思考

 合理的な思考、態度と科学的な思考、態度は同じではない。数学は合理的だが、実証的ではない。物理学や生物学は実証的だが、それらは数学とは違う。釈迦の思考は合理的だが、実証的でない部分が多い。科学がまだない時代ではこれは致し方ないことで、これはギリシャの「哲学」、つまり、「実証的でない科学的な思考」によく似ている。

 「知る」と「信じる」が科学と宗教を区別する述語と考えられてきた。知ったものを信じるために実験や観察が重視され、実証的であることが強調されてきたが、それは知ったものを信じるための工夫であり、信頼できる知識の条件の一つだと考えることができる。「知ったものを信じる」と「知ったものを検証する」はいずれも「知ったものを慎重に受け入れる」ことの別の姿だとすれば、実験や観察という検証と信じるための修行は似たような工夫、手段であり、それらはマニュアル化されて、使われることになる。

 ギリシャの宗教は神話であり、物語として伝承され、書き記されてきた。釈迦の宗教は知識であり、その習得には修行が不可欠だった。ソクラテスと釈迦はほぼ同じ時期に生き、共に真理を求めた求道者だった。それゆえという訳ではないが、釈迦は信仰の人、ソクラテスは哲学者と二人を峻別する確たる理由はないというのが私の意見である。

 釈迦の教えはわかりやすく、合理的である。今まで釈迦の思考の合理的側面は、仏教が宗教であるという常識に邪魔され、隠されてきた。仏教学者やインド哲学研究者でない僧侶たちにとって、仏教は疑いもなく宗教であり、科学的な仮説や心理学とは相容れないものである。だが、仏教は一神教でも多神教でもなく、「仏教は宗教である」という常識に余りに縛られると、釈迦の教えの本質部分が見えにくくなる。原始仏教キリスト教とは共に宗教だが、二つは似ても似つかない宗教である。
 まず、原始仏教は「道理に基づく教え=合理的な教え」である。原始経典によれば、釈迦は伝道の心得として、道理が備わった教えが合理的な教えであり、言葉による道理の表現を重視している。言語表現はギリシャ哲学でも重要な事柄であり、論理と言語を正しく駆使することによって言明が適切に表現されることを釈迦もギリシャの哲学者たちと同じように認識していた。
 次は、「みごとに説かれた教え:理法」である。釈迦は修行僧に対し四つの言明を説く必要があると言ったと述べられている。
1. みごとに説かれたことばのみを語り、悪しく説かれたことばを語らない。
2. 理法のみを語り、理にかなわぬことを語らない。
3. 好ましいことのみを語り、好ましからぬことを語らない。
4. 真実のみを語り、虚妄を語らない。
 2と4は合理的な知識が理にかなう、真実であると述べている。この条件は科学者に要求される条件の一部である。「好ましいことば」とは漢訳経典では愛語と訳され愛情のこもった言葉のことである。1と3は善と愛であり、倫理的な内容になっている。これらを総合すると、釈迦の教えは理知と倫理、さらに愛情を具えた教えであることがわかる。
 さらに、理法と真理について見てみよう。釈迦の教えはパーリ語でダンマ、サンスクリット語でダルマと呼ばれ、「理法、法」と訳される。それは真理と強く結びついている。釈迦は懐妊術や医術を嫌う。その主張は現在の私たちには理解しがたいように思えるが、当時は現在のような進んだ医学はなく、インド社会には呪術や誤謬に満ちた思想がはびこっていた。彼は当時のインド社会に蔓延る呪法を「畜生の学」と呼び、弟子達に厳しく禁じている。このような釈迦の考え方や態度は現代の科学的精神に通じるものである。
 古い宗教的儀式ではマントラ真言)が謳われ、唱えられた。マントラバラモン出身の修行僧によって仏教に持ち込まれたが、釈迦はこれを禁じた。紀元一世紀頃に諸仏を信仰する大乗仏教が誕生するが、これは釈迦の仏教が大きく変化したことを示している。
 釈迦は神々に対する信仰を否定している。原始経典では神々への信仰や呪術が否定されている。そして、原始仏教の基本原理である無常観や縁起説は科学と両立可能な思想となっている。
 釈迦の教えは死後インド西北部にあるギリシャ人植民地のギリシャ人たちに受け入れられたことが知られている。ギリシャ人はギリシャ哲学が示すように合理的な思考をする人々。彼らに受け入れられたことは釈迦の教えが合理的であったことを意味しているのではないか。そのためか、釈迦の教えは当時のインドでは理解されにくかった。これが後に大乗仏教密教と変容し、最終的にヒンズー教に吸収され、インドから消滅する理由だと考えられないことはない。兎に角、釈迦の合理的思考態度は紀元前後に出現した大乗仏教では消えてしまう。

 私には大乗仏教の方便による経典の山が哲学が神話に戻ったことを示唆しているような気がしてならない。