接触8割減を説明する

 なぜ「接触8割削減」の行動変容が求められるのか。その理由がきちんと説明されていないなどと野党の国会議員がテレビで叫び、与党の国会議員がそれに応じるといった場面があり、確かに国民は8割減の理由をきちんと理解しているのか自問してみると、私がこれまで述べてきたようなことはほとんど説明されておらず、「専門家会議やクラスター対策班の考えによれば」ということで済まされてきた。自粛要請によって被害を受ける方々には8割削減の説明責任を果たすことが重要なのだが、通常の説明とは随分と違ってくる。

 Kermack and McKendrick (1927) が提案したモデルはSIRモデルと呼ばれ、人口全体を感受性状態(感染可能な人の数S(t))、感染状態I(t))、回復状態R(t))に分けて考える。とても単純で、(1)一定期間ごとに未感染者からβの割合で感染者が発生し、(2)感染者はγの割合で感染から回復する、というもの。つまり、

感受性→(β)→感染→(γ)→回復(βは感染力、γは回復力)

となる。数式で表すと、 以下のようになる。

dS(t)/dtd=−βS(t)I(t),

dI(t)/dt=βS(t)I(t)−γI(t),

dR(t)/dt=γI(t)

このSIRモデルは大学で習う線形常微分方程式のシステム。ある時刻で R0を8割減少させることを考えてみよう。以後の話を簡単にするため、β, γ = 1、S(t) I(t) = R, I(t) = x, R(t) = y, R = R0(1-x-y)と規格化して考えよう(http://jun-makino.sakura.ne.jp/articles/corona/face.htmlにある詳しい説明を参照してほしい)。すると、dx/dt = R0(1-x-y)x-x, dy/dt = xR0(1-x-y)xを、x + y <<1と近似して、出てくるR0x をプロットする。ここで、xyは全人口に対する現在感染している人(感染状態)、感染から回復した人(回復状態)の割合。xは連続的に変化するが、R0を人為的に変えることによって新規に発生する感染者の数は減ることになる。そのあとは、R0が1より小さくなれば、新規に発生する感染者数は指数関数的に減少する。

 グラフは下の日経のグラフに似たものが得られる。現在のR0が2.5 であり、SIRモデルを使い、R0を8割減らせればこうなる、というグラフを示している。西浦教授のモデルは、R0=2.5という仮定が正しい限りは、結果自体に問題はない。但し、R0の推定はこれまでの暫定値であり、日本での現在までの検査体制でR0を正しく推定できるかどうかはわからない。したがって、数理モデルとしては正しいが、結果の「8割」は100%信頼できるというより、「今のところ十分に妥当」ということである。

 既に「「8割」はどこから導き出されたか、あるいは「なぜ8割なのか」」で述べたことを再述しておこう。これはクラスター対策班のTwitterでの西浦教授の説明の要約である。
 人口の増減と感染者の増減は数に関して同じ振舞いをするため人口に関する基本再生産数R0を感染者の動態モデルにも適用してきた。ヨーロッパでの感染状況から基本再生産数は2.5.再生産とは人間なら出産であり、人が関与してその数をコントロールすることが部分的に可能。新型コロナウイルスについても、ワクチンを打つ、薬を飲む、社会的距離をとる、幾つかの行動を禁止する、自粛を要請すること等々、によってR0を減じることができる。それによって決まるのが実効再生産数R。二つの再生産数の間には、
R = (1-e)R0

の関係がある。R<1ならば、感染者は増えない。つまり、
e<1-1/R0 = 3/5 = 0.6(R0=2.5)。
R0を6割減らすことができれば、Rは1より小さくなる。つまり、6割削減で理論上は十分だが、夜の街の自粛は厄介なので、確実に流行を防ぐには8割が必要。そのため、首相の宣言で「最低7割、極力8割削減」という(紛らわしく、不透明な)表現が使われたと思われる。R0=2.0なら、同じように計算すると、e<0.5。これなら5割削減でよく、東京都の案より弱いもので構わないと考えることもできそうである。既に、7日のFacebookでインペリアル・カレッジ・ロンドンの調査報告書に言及し、ブラジル全人口の75%を自宅隔離する厳格な新型コロナウイルス感染防止強制措置について述べた。それと比べるなら、東京都の案など抑制策というより、緩和策でしかない。

 このように見てくると、日経の以下の記事の背後にどのような計算があるかがおよそわかってくるだろう。

f:id:huukyou:20200414084015j:plain

 その計算結果を日本語で述べたのが記事で、それは以下のような内容。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するためには、人との接触を7割減らすだけでは収束確認まで1カ月以上かかる。8割減にできれば、新たな感染者は大幅に減少する。企業に対して出勤抑制などの取り組みが求められている。英国の対策の効果を分析した論文によると「接触8割減」になったのは都市封鎖(ロックダウン)後だった。安倍首相は「最低7割、極力8割」と要請しているが、ロックダウンに近い行動変容がなければ、感染は収束しないか、長期化する可能性がある。モデルの分析によれば、感染拡大を一定程度まで抑制できる期間は接触8割減なら15日程度、7割減なら34日程度。潜伏期間などを考慮すると、感染者の減少を確認できるまでに8割減なら1カ月程度、7割減なら2カ月弱を要する。4割減、6割減と段階的に対策を進め、約2週間後に8割減まで到達した場合、39日程度で感染拡大の抑制に至るが、効果を確認できるまでに2カ月程度かかる。

 この日経の記事のグラフと説明で恐らく多くの人は納得するのではないか。「この説明がなぜ正しいか」の説明には、背後にある数学モデルを使った説明が必要になってくる。その簡略した説明が上述のものであり、それは専門家を信頼してもらうことで済ましても誰も文句は言わないのではないか。