雪からすっかり縁遠くなり、雪のない生活に慣れてしまった。それを堕落とは思わないが、雪のない東京の冬は実に楽だと実感すると、今の生活が雪から逃れてのものだとつい思ってしまう。故郷の雪が嫌いだったわけではないし、雪から逃れて東京暮らしに入ったわけでもないのだが、人に聞かれるとそのように言うのが常だった。
子供には雪が待ち遠しく、雪が降ることがそれだけで嬉しいものだった。11月末になるとハロウィーンやクリスマスより、雪が舞い降りるのを心待ちにしている自分がいた。ハロウィーンなど誰も知らなかったし、クリスマスも都会の出来事だった。周りの大人たちはいつも雪の愚痴ばかりこぼしていたが、それがどうしてなのか子供の私には解せなかった。雪は小さな心を浮き立たせ、雪と遊ぶことは純粋に楽しいものだった。
雪は天からの贈物で、空から舞い降りる姿は見ていて飽きないもの。雪は子供にだけでなく、大人にも贈り物だった。中谷宇吉郎は『雪』(岩波文庫)の中で雪を「天から送られた手紙」にたとえた。「しからば雪は何であるか。それは前にも述べたように、水が氷の結晶になったものでこれは純粋の結晶である。雪は空の高い処で出来てそれが漸次成長しながら地上に降りて来るものである。この時上空高く存在している水が凍るのであるが、この空中の水というのは水蒸気のことである。」と述べ、上空には到る処に塵が一杯あって、それを芯にして結晶ができることを説明してみせた。
だが、降り積もった雪はロマンティックでもないければ、美しくもない。どちらかと言えば、厄介で汚い。3月の雪解けの頃の雪は特にそうで、半ば溶けていて、厄介この上ない。それでも冷え込んだ朝には解けた雪の表面が凍り、「しみわたり(凍み渡り)」を楽しむことができた。大人たちの雪への評価は積雪被害への苦情、悲鳴のようなものである。鈴木牧之は『北越雪譜』で歌に詠まれる雪ではない、豪雪地帯の雪と暮らしを描いて見せた。雪国の水の流れにひそむサケの動向、キツネやガンの知られざる越冬ぶりから、雪の地面から噴き出る燃える火の話なども出てきて、北越が石油や天然ガスの産地であることを伝えている。
雪が降り積もると北国街道は幅2mにも満たない雪道に変わり、自動車はすべてストップし、雪ぞりが物資の運搬に使われていた。雪が降った朝には玄関から公道までの「道つけ」は私の仕事で、子供には道の新設に思えた。何度も屋根から雪を下ろし、家の周りは雪の山。昼間でも一階は暗く、玄関から出るには雪の階段を上らなければならなかった。そんな子供の頃の記憶は今は通用しないようで、降雪は減り、冬でも車が走り回っている。『北越雪譜』の世界はすっかり遠くになってしまった。
それでも、雪の美しさと楽しさ、惨さと厳しさの両面はしっかり経験できるのが雪国であり、そこで私が生まれたことが今の私をつくったと思うと、生まれた頃の雪国が無性に懐かしいのである。