我流の哲学史雑感(10)

ガリレオ・ガリレイ:近代科学の始まり
 ガリレオ・ガリレイGalileo Galilei 1564-1642)は、近代科学の特筆すべき創始者。その業績は主に天文学と力学。ガリレオが科学者として偉大なのは、科学研究に臨む彼の態度にある。今では当たり前の、自然の観察に基づいて法則を見つけ、数学を用いてそれを表現するという手法はガリレオ以前には考えられなかった新機軸である。
 ガリレオの主な業績は、彼自身が晩年に執筆した『天文学対話』(1632)と『新科学対話』(1638)にまとめられている。自ら実験し、その結果を自らの目で確かめることによって、人間は真理を獲得できる、それがガリレオの主張だった。ガリレオはまず天文学の分野で著しい成果を上げた。彼はコペルニクスの地動説を信じるようになる。昨日述べたように、コペルニクスの地動説にとっての難問は、もし地球が自転しているなら、高い塔から落ちる物体は真下に落ちるのではなく、少し逸れて落ちるという反論だった。ガリレオの説明によれば、地球は自転しているが、その上に載っている塔もまた地球と自転運動を共有している。同じ運動を共有している物体相互の間には、一方の運動は運動として現れない。だから、ものを塔の上から落しても、地球の自転の影響は現れないのである。
 ガリレオにとって重要な契機となったのは、1609年にオランダで発明された望遠鏡。彼は望遠鏡を自作し、天体を観測し、そこから重要な発見をする。月が完全な球体でないこと、木星には月と同じような衛星が四つあること、銀河が無数の星からなる巨大な天体であることなどを発見した。一方、彼は天体の運動についてはコペルニクスの説を繰り返すのみで、ケプラーが主張した天体の楕円運動を知らなかった。
 ガリレオの業績の中で特筆すべきは力学の革新で、まずは慣性法則の発見。アリストテレスの自然学では、物体は特別の力が加わらない限り静止しているとされていた。物が動いているのは必ず何かの力が加わっているからであり、その力が衰えてやがてゼロになると静止する。これは私たちの日常観察に合致しているように見える。だが、ガリレオは物体に何か特別の力が加わらない限り、永久に同じ運動を続けると主張した(慣性の法則)。この特別の力の一つが物体の落下運動における重力である。アリストテレスは重いものは軽いものに比べて落下の速度が速いと考えた。これに対してガリレオは、重いものも軽いものも同じ速さで落下すると主張した。彼はそこに加速度が働くことも始めて実証した。ガリレオ慣性の法則と、加速度の理論を使って、物体の運動に関する一般理論を構築した。この成果はニュートンの壮大な力学体系の一部となっていく。
 ガリレオは二度異端裁判にかけられた。一度目は1616年で、この時ガリレオは地動説を吹聴しないことを条件に許された。二度目は1633年で、この時は無期懲役の刑に付された。「それでも地球は回っている」という有名な言葉は、この裁判の中で漏らした言葉。
デカルトにおける学問の方法
 デカルトはこの世界の明証性の根拠を自分自身の意識作用の中に見出した。それまでの西洋哲学は、人間の認識からではなく、神や実体のような形而上学的なものからスタートしていた。デカルトは世界認識の中心に個人の意識を置いた。彼によれば、既成の諸学問のほとんどは役に立たず、数学だけが確かな根拠をもつように見える。デカルトは既成の学問のほとんどを根拠が曖昧という理由で否定したが、数学や自然学には一定の評価を与えた。実際、近代的な自然科学に影響された最初の哲学者がデカルトだった。彼は、一方で個人を中心に近代的な人間観を、他方で自然研究の合理的方法を確立した。デカルトの学問研究の原理は、明証性、分析、演繹、枚挙であり、今ではあらゆる科学研究において常識的な指導原理となっている。彼はこうした科学的な態度を始めて自覚的に実行し、それを哲学の分野にも活用した。その後、デカルトはオランダに移り、研究を続け、真に明証的な「考える自分」に行き着く。
デカルトのコギト Cogito ergo sum
 デカルトの「我思う故に我あり(Cogito ergo sum)」 はヨーロッパの近代思想の出発点であり、世界の存在や人間の認識を個人の意識の明証性から解明するものだった。デカルト以降今日に至るまで、この意識の呪縛から私たちは抜け切れないでいる。「考える」という事実がスタートとなり、その行為の主体として「自我」が抽出され、考える対象として世界がある。この「世界の中心にある考える自我」という主張は、その後の思想に容易に解き得ない呪縛をもたらした。世界や人間を私の意識とは独立したものとして客観的に存在を記述しようとする態度は意味を失った。世界や人間は、私の意識の中に表象される限りの存在で、それはあるままの自然の姿ではない。
 後にカントは「物自体」を対象の実体だとしたが、私たちはそれを直接に知ることができず、私たちの意識に現れるのは表象対象だけである。また、フッサールは世界を意識の主体としての人間を中心に組み立てようとしたが、一人の人間の意識の中で他の人間が実体性をもつかどうか煩悶し、彼は意識を持った諸個人の共同主観的世界があるというテーゼに行き着いた。これらの主張はデカルトのコギトから派生したものである。
 どのようにしてデカルトはこのコギトにたどり着いたのか。彼はあらゆる研究の第一原理となる明証的な真理を求め続けた。この明証性を得るために、あらゆる事柄を疑ったが、それが方法的懐疑である。自分自身の肉体でさえ本当は存在しないのかも知れない。自分が確実だと思っている対象も夢や幻に過ぎないのかも知れない。だが、懐疑を徹底しても、疑い得ないものとして残るものがある。それがコギト。デカルトが明証的で疑い得ないと直観したのは、「考える」私自体で、それは意識と同義だった。疑い、理解し、意志し、想像し、また感じること、夢の中の出来事でさえ考えることのうちに含まれた。要するに、人間の意識作用のすべて。次に、この考えているという事態から一歩進んで、考えている主体としての自我が登場する(私は考える、ゆえに私はある(Je pense, donc je suis))。
 「考えがある」ということと「考えている私がある」ということは別のこと。だから、考えている状態があっても、その主体としての私もあるというには論証が必要となる。だが、デカルトは「考えがある」と「考えている私がある」とを、媒介なしに結びつけた。デカルトはこうして、自我と世界とを思考の中に閉じ込める。デカルト以降の哲学には著しい主観主義的傾向が強まるが、それはデカルトのコギトがもつ構造に由来している。
デカルトの二元論:精神と物体
 デカルトは方法的懐疑によって、人間の感覚知覚、思考の中に現れるすべてを一旦棚上げする。それによって「思考する自我」を抽出するのだが、その際に疑いの中心にあるのが物質である。物質の存在は、日常思われているほど確実なものではなく、いくらでも疑うことができる。それでも物質というものは、私たち自身の身体も含めて、抗いがたい現実性をもって私たちに迫ってくる。私たちの感覚知覚の多くは、私たち自身の精神の中で生まれたというより外界から刺激として入ってくるように思えるし、また想像力や情念の多くも物質なしには生まれないように思える。そこでデカルトは、方法的懐疑を経て「考える自我」の実在をまず確立し、一旦棚上げした物質の存在を改めて考察した。その結果、この世界には精神的な実在と並んで、物質的な実在があり、その明証性は神によって保証されているという結論に至る。デカルトの著作『省察』では神の存在証明と並んで、物質の存在証明が行われている。デカルトは物質について考察する際、物質から直接出発するのではなく、あくまでも精神から出発し、精神の明証性に基づき、その対象としての物質の存在について議論している。
 この世界には精神と物質という二つのものが存在する。それらは神によって存在の根拠を与えられている。精神とは私の意識であり、物質とは私の意識の彼岸にある延長のことである。これらはともに、私の意識のなかに現れてくるものであるが、その意識の中で、精神は私という存在を基礎づけるものであり、物質は私の意識の随伴者として現れつつも、延長という存在性格によって、私の意識とは区別されるものである。
 デカルトは物質の存在証明を、四つの段階を通じて展開していく。第一に想像力との関連において、第二に感覚との関連において、第三に心身の実在的区別との関連において、そして最後に、狭義の物質の存在証明である。想像力とは、あるものを眼前にあるかのように表象する能力である。想像することによって、私はさまざまのものを意識のなかに現前させるが、しかし、想像する私自身はそれとは別の次元にある。では、この想像力が仮に私からなくなった場合、私が私でなくなるのか。明らかに、私から想像力がなくなったとしても、私は私であり続ける。だから、想像力は私の存在にとって本質的ではない。想像力は私以外の何ものかに依存し、それが恐らく物質である。このことから物質は想像力の働きからその存在が推論される。しかし、このことから言えるのは、物質の存在が確からしいということだけである。感覚との関連について言えば、感覚のうちに現れる物質の存在は、私の意志にかかわらないという点で、外部からやってきたと推論するのに十分な根拠を与えているように見える。だが、感覚は時に欺くことがあるし、夢の中で対象を認知することもある。感覚のみから物質の存在は証明できない。物質は心とは異なった何ものかである。
 デカルトは以上の議論を踏まえた上で、『省察』の第六で、物質の存在証明の総括を行なう。それによれば、私たちは物質の存在を証明する際も、自分の思惟から出発する他に方法はないと繰り返しながら、物質が私たちの思惟を超えた存在であることを証明しようとしている。私のうちには感覚という受動的な能力がある。これに対応する能動的な何ものか、つまり当該の感覚を生起させるものが、私の内か、あるいは私の外にあることが考えられるが、その能力が私の内にないことは明らか。ゆえに、それは私とは違った実体であると考えなければならない。したがって、私の感覚の中に生起する物質的事物の感覚的な表象は物質的事物そのものから与えられたのである。
 これがデカルトによる物質の存在証明の概略。デカルトは私の意識から出発し、そこから考える自我としての心の明証性を証明し、それの相関者としての物質の存在を証明しようとした。この議論を通してデカルトが到達したのは、世界には心と物質という異なる実体があるという認識だった。人間は考えるものとしては心の担い手であるが、延長を持った物質としての存在性格も併せ持っている。人間における心の部分と延長の部分とは、とりあえずは互いに交渉することがない別の存在とみなしておこう、だが人間はそんなに単純なものではなく、心と身体とは時に密接な相互作用を行なうこともある。それについては改めて考察しよう、デカルトはこのように言って、『省察』を結んでいる。
デカルトの情念論
 デカルトにとって精神と物体は二つの別の実体で、世界はそれらからできている。世界には精神と物体しかない。精神とは考える私であり、物体は私以外のあらゆるものである。このようなデカルトの二元論は、「私は考える」ということと「私は存在する」ということをアプリオリに結びつけてしまったことに起因する。
 精神としての私の心と延長としての私の身体とは交わることがないはずだが、自らの心の中を観察すると、二つが密接な関係をもっていることに気づかされる。晩年のデカルトはこの心身の相互関係の研究に没頭した。『情念論』は、心身二元論の立場からの心と身体との関係についてのデカルトの暫定的な解答。デカルトによれば精神が身体を最も強く意識するのは感覚においてである。感覚には三種類あるとデカルトは考える。一つは、いわゆる五感を通じて外的な対象を感知するもので、外部感覚。二つ目は、痛みや快感など自分の身体内部に起源するもので、内部感覚。三つ目は、恐れや欲望など、普通「情念」と呼ばれるもの。
 精神と物体とが互いに無関係であれば、わたしが自分の心の中にこれらの感覚を感ずるのは、どのようなメカニズムによるのか。デカルトは精神の働きの中に、能動と受動という二つの原理を持ち込むことによって、これを説明しようとした。それによれば、精神が精神に対して能動的に働くときに「意志」が生じ、精神が身体に対して能動的に働くときに身体への「統制」が生じる。また精神が精神に対して受動的になるときには、純粋に知性的な対象についての「認識」が生じる。そして、精神が身体に対して受動的になるときに「感覚」が生ずる。情念が Passion (受動)という言葉で表現されることに符合する、とデカルトは考える。だが、互いに関わることのない二つの実体が、なぜこのような形で働きかけ合うのか。そこでデカルトが持ち出したのが松果腺説である。
 デカルトの頃の脳は大部分が空室で、その中に動物精気という気体が充満している。脳の空室は前後に分かれ、その中間の狭い通路に松果腺が位置している。心身関係は空室内の動物精気の動きが松果腺を刺激することによって生じる。脳は神経によって身体のあらゆる部分と結ばれている一方、松果腺自体が心の座であるから、人間は脳とその中の松果腺の働きによって、身体の状況を感覚として知る一方、その意思を身体の各部位に伝えて、思うように運動させることができるというわけである。