[仮説演繹法(hypothetico-deductive method)]
ギリシャ哲学についてこれまで述べられたことを思い出してみよう。そこで使われていたのはもっぱら演繹的な推論であり、その特徴は前提から真理を保存する仕方で結論を導出することにあった。だが、この特徴は同時に弱点でもあった。その弱点とは、前提の正しさはその推論の中では与えることができないということである。だから、前提の正しさを保証する形而上学的な根拠が別に必要だったのである。この根拠に直観以外の経験をほとんど使用しない点にギリシャ哲学の特徴を見ることができ、その後、これを反対理由にして経験的方法が重要視されてきたのも歴史の事実である。ギリシャ哲学は経験に対して痩せ我慢したのである。
演繹的な推論の妥当性を説明するための試みは、アリストテレスの演繹論理の形式化である三段論法のシステムがその最初のものだった。その論理が「存在の論理」として彼の形而上学と結びつき、19世紀中葉まで人間の思考を支配してきたことは大きな謎なのだが、これが新しい論理システムに生まれ変わることを決定づけたのがフレーゲだった。ここでは二人の論理形式の違いは既知のものとして、科学の中で使われる推論の代表である仮説演繹法について考えてみよう。
仮説演繹法は観察に基づいてある現象を説明するために仮説を設定することから始まる。仮説とはまだ証明されていない命題で、仮に正しいと想定して事実を説明したり、更なる探求の基礎にしたりするものである。その場合、アブダクションや帰納法(いずれも後述)が仮説を思いつき、それを験証するのに深く関連してくる。仮説演繹法の使用は次のような段階からなっている。
仮説の設定
仮説からのテスト可能な命題の演繹(予測や説明)-帰無仮説と対立仮説
予測や説明の観察結果による判定(験証あるいは反証)
*仮説検定は,検定すべき母数についての仮説を立てることから始まる。ある理論から予想される事実を証明するために実験を行い、データが収集される。この際の作業仮説(または実験仮説)を対立仮説 H1 とする。これに対して、作業仮説を否定する仮説が帰無仮説 H0 である。「男と女は異なる趣味をもつ」をH1とすると、「男と女は同じ趣味をもつ」がH0となる。仮説検定の対象となるのは帰無仮説で、帰無仮説が棄却されれば、対立仮説が支持されることになる。つまり、帰無仮説が棄却されて始めて目的の事実が証明されることになる。この意味で 帰無仮説(無に帰される仮説)と呼ばれている。
[数学での仮説演繹]
ユークリッドは紀元前300年ほど前に『原論』を書き、その中で現在の公理にあたる仮定を5つ置いたが、平行線の公理は他の公理に比べ複雑で、自明であるとは言い切れなかった。5番目の公理は「直線とその上にない一点が与えられると、その点を通り、その直線に平行な直線を正確に一本引くことができる」と表現できる。この文の長さだけでも以下に挙げる4つの公理より複雑に見える。
1 任意の2点を通って直線を引くことができる。
2 有限の直線はある直線上を連続的に延長できる。
3 任意の中心、半径の円を画くことができる。
4 直角はみな等しい。
そこで平行線の公理を上の4つの公理から証明しようと多くの試みがなされた。後に証明の誤りが示された多くのものは平行線の公理に論理的に同値なものを仮定していた。(これは論点先取の誤り(petitio principi)である。)1733年にサッケリ(Girolamo Saccheri, 1667-1733)は平行線の公理が誤っていると仮定し、そこから矛盾を導き出そうとした。(これは帰謬法 (reductio ad absurdum)である。)平行線の公理の否定は「平行線を正確に一本引くことができる」を否定することである。すると、「平行線が一本も引けない」と「平行線が二本以上引ける」という二つの否定形ができる。彼は「平行線が一本も引けない」という仮定のもとで、矛盾を見つけることができた。4つの公理は「平行線が少なくとも一本引ける」を含意するからである。
19世紀初頭ユークリッド幾何学の妥当性に関する問いが出され、それに挑んだのがガウス(Johann Gauss, 1777-1855)であった。彼はユークリッドの4つの公理と平行線の公理の否定が矛盾を含まずに両立することを既に認識していたが、非ユークリッド幾何学を認めることができなかった。数は人間の心の所産だが、空間は実在であると考えていたためである。その後、ガウスと同じ結果がボーヤイ(János Bolyai, 1802-1860)とロバチェフスキー(Nikolai Lobachevski, 1792-1856)によって独立に発表される。彼らは「平行線が二本以上引ける」と仮定し、他の公理と矛盾しない非ユークリッド幾何学を展開した。さらに、19世紀中葉にリーマン(George Riemann, 1826-1866)がユークリッドの4つの公理に細工を施すことで、「平行線が一本も引けない」という仮定のもとで別の非ユークリッド幾何学ができることを見出した。
こうしてカントの死後50年で三つの異なるタイプの幾何学、「平行線が正確に一本引ける」ユークリッド幾何学、「平行線が二本以上引ける」非ユークリッド幾何学、「平行線が一本も引けない」非ユークリッド幾何学が存在することになった。
これまでの話を推論という観点から整理しよう。最初は4つの公理から平行線の公理が演繹できないか試みられた。うまく行かないため、平行線の公理の否定が仮定され、そのもとで他の4つの公理と矛盾するかどうか調べられた。ユークリッド幾何学が無矛盾という仮定のもとで、平行線の公理の否定から矛盾が出るなら、平行線の公理は4つの公理から演繹される。平行線の公理の否定は二つの形をもち、一方からは矛盾が得られた。しかし、別の否定形から矛盾が出ないため、4つの公理からは演繹できない可能性が残っていた。つまり、平行線の公理は他の公理から独立している可能性があった。非ユークリッド幾何学のモデルがつくられることによって、平行線の公理が他の公理から独立していることの一部が示された。さらに、4つの公理を僅かに変形すると、「平行線が一本も引けない」と仮定しても矛盾が得られず、別の非ユークリッド幾何学がつくられる。このような純粋に論理的な追求と共に、ユークリッド幾何学は経験世界の空間を記述するための唯一の幾何学かどうかが問題になっていた。
[力学での仮説演繹]
数学の公理的な形式を経験科学に応用し、成功したのがニュートンである。彼の『プリンキピア』は4部からなり、数学的な公理の提示と、それを運動の説明に適用するという二段階からなっている。さて、私たちが観察するのは見かけの運動である。見かけの運動の背後には絶対空間に関しての真の運動がある。彼はこのように考え、見かけの運動や原因から出発して、真なる運動や原因をどのように推論できるかを『プリンキピア』で示そうとした。
古典力学においてユークリッドの公理に対応するのが、慣性の法則、運動量保存の法則、作用反作用の法則である。ニュートンは天体の運動の秩序を観測し、それと運動の三法則を使い、天体間に働いている力がなければならないことを演繹する。それがF = Gmm’/r2 という重力の法則である。そして、どのような二つの物体の間にもそのような重力Fが働いていることを推論した。このニュートンの力学は18,19世紀の物理学のパラダイムとなった。
ユークリッドの幾何学やニュートンの力学での公理的な方法は基礎的な公理から出発して、次第に複雑な定理を順序立てて証明して行くものである。このようにして得られる知識は階段状に整列され、知識のピラミッドとして土台から組み上げられている。これを知識の理想的な形態とし、知識はこのような基礎付けをもたなければならないという主張が基礎付け主義である。公理的な数学システムという考えはヒルベルトの形式主義によって20世紀数学の際立った特徴となった。そして、集合論を土台に数学全体を具体的に基礎付けようとしたのがブルバキ(Nicolas Bourbaki)集団であった。数学はMathematicsという複数形で表現されるが、彼らは集合論の上に構造の違いから分類される各数学理論を段階的に積み上げる仕方で壮大な理論の建物を築き、一枚岩の単数形の数学家屋Mathematicをつくろうとした。
数学と物理学の基礎付け主義的な知識の扱いとその成功は、当然ながら他の領域に対しても大きな影響を与えることになる。数学の利用は量的な研究を可能にするというだけでなく、研究成果である知識についての基礎付け主義的扱いも可能にしたのである。
公理から出発する場合、公理そのものの基礎付けはどうなるのか。この哲学的な問いよりは、基礎付け主義の出発点に関してはとやかく言わず、基礎となる知識を仮定した場合、そこからどのように知識全体が構成できるかということに科学者はより関心をもった。そして、公理の正しさはそこから得られる命題の経験的な験証に委ねられた。したがって、数学や物理学での基礎付け主義は条件付きの基礎付け主義になっている。経験科学の「経験」についても科学は相互に承認された条件付きの経験で満足する。
[モデルと推論]
仮説とそこからの推論の例としてハエの人口動態について考えてみよう。仮説の効果的な適用と験証はモデルをつくり、具体的に記述、説明、予測することによって行われる。数学的な理想化によってつくられ、データとの照合によって補正されるモデルは理論と現象の中間に位置するものと考えられている。実際の観察から、ハエの個体数は前の年の個体数によって決まることがわかったとしてみよう。この事実は
Nt+1 = F(Nt)
と表現できる。t年の個体数Nt がt +1年の個体数Nt+1を決める関係Fが、t年の個体数に関してt+1年にR倍になるとすると、
Nt+1 = RNt
となる。これは線型の方程式で、Rの値によって異なる変化を描く。だが、実際はハエの個体数が増えると次第に食物が減り、捕食される率も高くなり、単純な比例関係にはないだろう。そこで上の仮説を修正しなければならなくなる。修正のため、(R – bNt)という関数を選んでみよう。bは集団が大きくなるにつれ成長率が減少する割合を示している。前の式を書き換えると、
Nt+1 = (R – bNt)Nt
となる。この式は非線形で、不思議なことにR = 3.570のとき、それまでの安定した周期的なサイクルからカオス的な振舞いに変わる。この式はNtの値が一つ定まると、Nt+1の値も一つだけ定まるという意味で決定論的な式であるが、N0の値が僅かでも異なると、数世代後の個体数はすっかり異なってしまい、長期にわたっての正確な予測ができないことを示している。これが初期状態への鋭敏性といわれる特徴である。
数学的関係を仮定し、集団の動態を予測し、実態に合わない点は修正する、さらに修正された式の特徴を通じて集団のより正確な記述と説明を追求する。このような試みが上の簡単な話には含まれている。