「ハルジオン」なのか「ハルジョオン」なのか、「ヒメジョオン」なのか「ヒメジオン」なのか。なんだかとてもややこしい。漢字表記だと、「姫女苑」と「春紫苑」である。「紫苑(シオン)」はキク科の花で、秋に咲く。そのシオンが春に咲くので、ハルジオン。一方、ヒメジョオンは「女苑(ジョオン)」の中の姫君である。ヒメジョオンもハルジオンも共にキク科ムカシヨモギ属。
ハルジオンは花弁の幅が細く、薄いピンク色だが、ヒメジョオンは花弁の幅が太く、真っ白である。花弁の幅の違いで見分けられる。1㎜以下の細い花弁がハルジオンで、 約1.5㎜で幅が広いのがヒメジョオン。茎を折ってみると、ヒメジョオンの茎には空洞がないが、ハルジオンの茎には真ん中に空洞がある。
名前の違いと実際の植物の違いが共に微妙で、名前も実物も判別が厄介という例なのだろうが、だから何だというのだろうか。過去の文献での記載や命名の経緯がどれほど重要かという類の研究はほぼ無意味だというのが正直な気持ちなのである。微妙な名前の違いと植物の違いは本質的に無関係であり、名前の違いなど無視して一向に構わないのである。それは余計な過去の記録や習慣に過ぎず、枝葉末節なもの。命名の歴史になど学ばず、現物の違いに集中するのが正しいことは言うまでもない。
人がどのようにその植物に対応したかは人の都合であって、その植物にとっては余計なことに過ぎない。文化や歴史の中に登場する人以外のものは人の都合で勝手に扱われ、解釈されてきた。人の都合で人が勝手につくった歴史や文化は所詮人の社会で価値をもつに過ぎない。宗教教義、倫理、思想、さらには法律など、どれも人の都合によってできたものである。
ヒメジョオンが道端に見事に花を咲かせ、一大群落をつくっている。これも人の都合でできた群落だと思うと、つい偏向した愚痴を言いたくなった次第である。