宗教が変わる(4)

右半球の宗教から左半球の宗教へ
 聖徳太子以来、日本で最も親しまれてきた大乗経典と言えば『法華経』。西暦1世紀前後に新しい宗教改革運動として大乗仏教が起こります。大乗仏教は自らの思想を表現し、布教するために新しい経典をたくさん創作しました。ブッダの教えを弟子が書き残したものが経典なのですが、大乗仏教の改革者たちは新しい経典を創作し、ブッダも同じように説いた筈だという仕方で自分たちの思想を展開し、布教したのです。一番最初の大乗経典は『般若経』。その後、多くの経典がつくられます。私たちの知っている『法華経』(クマラジーヴァ訳『妙法蓮華経』)の原典はおそらく西暦3世紀中頃までにできあがったと思われます。つまり、『法華経』はブッダの死後およそ400から500年後に、大乗仏教運動の改革者たちによって創作されたものなのです。ですから、これらは「偽経」とも呼ばれます。戯作と呼ぶと元も子もなくなりますが、大乗経典はブッダ以外の人たちの創作作品なのです。
 大乗仏教運動の改革者たちは新しい経典を創作し、自分自身の救いではなく、大衆の救いのために生きようとします。そして、その理想像が菩薩です。菩薩は悟ってブッダになる前の求道者ですが、新しく創作された大乗仏典の中では大衆を救う理想的なヒーローです。観音菩薩弥勒菩薩、無数の菩薩が大乗仏典に登場しますが、すべて架空のヒーローで、真の求道者である菩薩たちが活躍する物語が大乗経典なのです。
 ブッダの教えは、苦の原因を知り尽くし、それに執着しないことによって、苦から解放されるという悟りに達することが目的です。それは苦を作りだしている原因に対する迷妄から解放されることです。それがブッダの悟りですが、『法華経』はそれではまだ「この上なく勝れた」悟りに達していないと主張します。では、「この上なく勝れた」悟りとは一体どんな悟りなのでしょうか。『法華経』の理想の修行者は、苦から解放されて悟りと平安の境地に達している人ではなく、世間の人々の幸福のために、すべての人々の安楽の基となるブッダの教えを説き示す人です。これが、単なる悟りを超えた「この上なく勝れた」悟りという訳です。ブッダなら余計なお世話だと一笑する筈です。
 迷信を信じるのが人間です。それは仏教も同じで、ブッダが死んだあと、弟子たちはその教えを守り修業しましたが、一般大衆はブッダの教えを学び、厳しく修業するのではなく、ブッダの骨を収める仏舎利塔にお参りすることで済まそうとしました。ブッダの教えは理路整然としていて、それは、苦の原因を追及し、それを取り除くことによって苦から解放されるというものでした。そのため、ブッダは祈祷やまじないを一切否定しましたが、大衆の救いに大きな関心を持つ大乗仏教の改革者たちは、大衆の迷信を否定せず、それもブッダの教えと同じように積極的に受容したのです。これは、大乗仏教に特徴的な性質で、伝統的仏教にはないものです。しかも、後代の大乗経典になるほど、この傾向が強くなります。やがて、仏像をを拝むことが受容され、密教になると、ブッダが明白に否定したさまざまな迷信、呪文(真言)や「火をたく護摩の術」さえも受容されることになります。
 このように、大衆の救いに特別の関心を持つ大乗仏教の改革者たちは、ブッダが否定したさまざまな迷信を否定するどころか、むしろそれを積極的に利用し、それによって大衆を救おうと考えたのです。そして、その手段として新しい大乗経典をつくりました。大乗経典は宗教文学です。文学は創作ですが、人を騙すための嘘ではなく、それを通じて作者のメッセージを伝える物語です。大乗経典は、ブッダが教えたという伝統的仏教経典の形式を使ったブッダや菩薩が主役となる創作物語です。それは、ブッダの思想を継承し、ブッダが語らなかった真理まで語ろうとする物語なのです。
 では、大乗仏教の改革者たちは、どのような根拠でブッダの教えでないものをブッダの教えとして次々に創作できたのでしょうか。その答えの一つが、「巧みなてだて(ウパーヤ、方便)」という大乗仏教を特徴づける思想にあります。大衆を救わんとする諸仏や菩薩に備わっている救済のための巧みな技術が「方便」です。大衆が簡単に受け入れる仏舎利塔信仰、仏像信仰、仏典信仰などの迷信を、単に迷信として捨てずに、秘かに企てられたブッダの巧みな手だて(方便)と解釈したのです。嘘さえ方便として認めたのです。
 悲しみや苦しみからの解放は、その原因や条件を知り、それらを取り除くことによって達成される、とブッダは考え、人間の悲しみや苦しみからの解放の手段としての迷信はすべて捨てるよう説きました。それが原始仏典が伝え残したブッダの教えでした。したがって、『法華経』などの大乗の諸経典が、ブッダの遺骨に供え物を捧げる(仏舎利塔信仰)だけで、仏像を作りそれに礼拝する(仏像信仰)だけで、あるいは経典の一節や題目を唱える(経典信仰)だけで、悟りに至ることができるなどという迷信を認めたことは、ブッダの本来の教えを否定することを意味しています。 そこで、ブッダの教えを否定する新しい思想こそが実は「ブッダのより勝れた教え(大乗)であり、伝統的仏教はブッダの教えを理解できない大衆を救う心も技術も持たない教え(小乗)であった」という巧みな手だて(方便)を考えついたわけです。これが、大乗仏教ブッダの教えを否定してもブッダの教えである、と主張するために考え出された正当化の方便なのです。
 しかし、大衆の救いのためとは言え、大衆迎合的な嘘であることに間違いありません。それは許されるのでしょうか。「嘘ではない」というのが大乗仏教運動の改革者の答えでした。では、どのようにして本来のブッダの教えでないものが、悟りの道に入ることになるのでしょうか。本来のブッダの教えでなくても、それを受け入れることが、本来のブッダの教えに導かれるならば、それは、究極的にはブッダの教えである、という訳です。仏舎利塔や仏像を造ったり、それらを礼拝することそれ自体は、もちろん、ブッダが教えたように、人を悟りに至らせるものではありません。しかし、仏舎利信仰や仏像礼拝は、ブッダへの尊敬心を育み、やがて、だれかの心の中に、「ブッダとは誰か」「ブッダの教えとは何か」という問いを生む因縁、契機になる筈です。同じように、経典の名前やその他の呪文をとなえることそれ自体は、人を悟りに至らせるものではありません。しかし、経典の名前を唱える行為は、やがて唱える人の心の中に、「その経典には何が書いてあるのか」、「呪文の意味は何か」というような問いを生むきっかけ、因縁、契機になるでしょう。心の中に、「ブッダとは何か」、「ブッダは何を教えたのか」、等々の問いが生まれるとき、人は、本来のブッダの悟りの道へとすでに一歩踏み出しているのです。菩薩の巧みな手だては、こうして、ブッダの本来の教えを受け入れることのできない「劣った人々」をも、ブッダの道へと誘い出してしまうのです。そこに「大きくてすぐれた乗物」を主張する面目があります。そして、方便という考えは文学や芸術を巻き込んで、言葉や画像を駆使して私たちの大脳の左半球に強烈に訴えそれに成功したのです。
 ブッダの教えでないもの、ブッダが否定した事柄さえ、ブッダの道へと導きうるという主張を可能としているものは、もちろん、世界の諸現象が縁起(因果的に相互依存して起こる)関係にあるからです。迷信は迷信、ブッダの教えはブッダの教え、とそれぞれが無関係に自立自存していれば、一方から他方への移行は不可能です。つまり、世界が依存関係や因果関係によって成り立っているのでなければ、仏舎利信仰やら仏像礼拝やら経典信仰等々の迷信が、ブッダの本来の教えへの因縁、契機とはなり得ません。種々の教えは、実のところ、釈迦の教えの一つである、という『法華経』の一乗思想は、まさに、この仏教の中心思想である縁起の思想によって裏付けられています。縁起の思想は因果連関についての分析的思考に基づいていますから、ブッダの直感的な世界理解から言語表現をベースにした分析的、合理的な理解へと変化したことを示しています。
 このように見てくると、見事な方便で折伏させられそうになるのですが、やはりどこか無理があります。ブッダの本来の悟りと大乗仏教の方便の集まりの間の整合性は決して十分とは言えません。小乗から大乗への移行に齟齬はないというより、仏教が宗教集団として活動するために大きな乗り物、組織が必要となり、そのために布教という観点から寺院、経典、仏像、僧侶等が必要になったということなのだと無理に納得しようとしても、そこに残るのは、やはり「無理」です。となると、二つの仏教はよく似ているが異なる宗教だと結論したくなります。二つの仏教は親子のような関係にあるが、子供は肝心な点で親に背いていると考えたくなるのです。二つの仏教を区別しようとすれが次のようななるのではないでしょうか。
 ブッダの直感的で自らの修行を通じて解脱する右半球中心の仏教から、仏像や経典を通じての布教と帰依とを重視する左半球中心の仏教へと舵を切ったこと、それが大乗仏教を生むことになったのです。