「リケジョ三傑」として、シャトレ侯爵夫人、マリ・キュリー、エミー・ネーターの研究について述べたことがありました。三人とも、女性研究者の強さを示しています。マリ・キュリーはワルシャワ生まれで、「対称性保存の原理」(キュリーの原理)で有名なピエール・キュリーと結婚し、1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞、パリ大学初の女性教授。そして、「対称性の原理」を数学的に表現したのがエミー・ネーターで、ヒルベルトやアインシュタインと共同研究し、「ネーターの定理」は対称性(symmetry)と保存則(conservation laws)の間の同値関係を述べたもの。
今回は最初のシャトレ侯爵夫人について少々詳しく述べてみましょう。彼女は正確にはデュ・シャトレ侯爵夫人ガブリエル・エミリー・ル・トノリエ・ド・ブルトゥイユ(Gabrielle Émilie Le Tonnelier de Breteuil, marquise du Châtelet, 1706-1749)という貴族で、18世紀フランスの数学者、物理学者です。彼女の恋人ヴォルテールがニュートン力学の啓蒙書を書くのを助け、自らはニュートンの『プリンキピア』を仏訳し、女性科学者のさきがけとして知られています。
彼女の数学的能力は高く、愛人ヴォルテールを通じてニュートンやライプニッツを知り、ニュートンに傾倒し、『プリンキピア』の仏訳を行います。彼女は43歳で亡くなりますが、訳書は死後ヴォルテールの前書きをつけて刊行されました。
さて、彼女の愛人ヴォルテールは彼女の助力で『ニュートンの哲学』を刊行しています。ヴォルテールはフランス啓蒙思想を代表する一人で、ニュートン力学をフランスに紹介し、普及させました。ニュートンとライプニッツの論争にはシャトレ侯爵夫人と共にニュートン側に立ちました。
*当時のフランスの貴族の間では夫婦関係は寛容(?)で、(愛人の数に違いがあるとはいえ)共に愛人をもつことが許されていました。ですから、シャトレ侯爵夫人とヴォルテールの関係は現在の不倫とは違っていました。
**画像は、ニュートンの『プリンキピア』、シャトレ侯爵人の仏訳の第1巻、ヴォルテールの『ニュートンの哲学』で、いずれも初版
***それぞれの著作の原書名
Philosophiae naturalis principia mathematica. London: Joseph Streater, 1687
Principes mathématiques de la philosophie naturelle par seue Madame la Marquise de Chatelet. 2 Vols. Paris: Desaint & Saillant, & Lambert, 1759
Élemens de la philosophie de Neuton. Amsterdam: J. Desbordes, 1738