本当に何も決っていない量子力学の世界

本当に何も決っていない量子力学の世界

 放射性同位元素の振舞いは半減期と比例関係にある平均寿命τを使うと、「平均寿命τ だけ時間が経つと、放射性同位元素の数は初めの1/e になる」と表現できます。ここでe は自然対数の底e = 2.718281828 …。寿命と言っても人間の寿命とは違います。10 年たって生き残った同位元素を集めて寿命を測定しても、できたての同位元素を集めて寿命を測定してもまったく違いがないのです。同じ種類の原子や原子核はまったく同じものであり、私たちには区別ができず、当然、生まれてからどれだけ経ったかによる違いもありません。では、私たちの住む日常世界にこのような全く「同じ」ものはあるでしょうか。私たちが経験できる範囲には何もありません。成程、数1はどこに出てきても同じ1ですが、数1自体は物理世界には存在しません。また、一辺が3㎝の正三角形は皆同じですが、やはり物理世界には存在しません。

 物理世界で起きる現象について色々な統計があります。「ガンで後3年生きられる確率は40パーセント」とか「明日晴れる確率は70パーセント」とか言われますが、放射性元素の崩壊では過去の履歴がまったく影響しません。確かに、サイコロやコインを投げたときの確率も過去の履歴にはよらないのですが、これは放射性元素の崩壊と同じではありません。サイコロ振りやコイン投げでは、投げたときの条件を私たちが知らないために、ある数字や表が出る確率が1/6 や1/2 になるのですが、もし条件が正確にわかっていれば、確定的な予言ができるのです。特定のサイコロ振りやコイン投げは、情報がすべてわかっているなら、確率的ではなく、確定的な出来事なのです。ですから、この場合の確率は私たちが十分な情報をもっていないということの表明に過ぎないのです。知らないので確率を使うが、知っていれば、確率を使う必要はないという訳です。ところが放射性元素の崩壊で使われる確率は、どの原子核が壊れるかを私たちが知らないのではなく、どれが壊れるかは本来的に決まっていないのです。見かけだけではなく、自然が本質的に確率的なものであることが量子力学での帰結なのです。アインシュタインが「神はサイコロをふらない」と言って、量子力学の確率的な記述を拒否したことは有名ですが、彼と同じように確率的な現象の裏には私たちが未だ知らない「隠れたパラメータ」があって、それが現象を支配していると考えた人たちが多くいました。しかし、今やこのような隠れたパラメータがないことは、実験的に証明されています。したがって、「神様はいつもサイコロを振り続けている」のです。

 今とは違って、かつては入学試験の合格者名簿がキャンパスに張り出されました。そこに自分の名前を見つければ、その後の人生が大きく変わります。みんなの人生が変わるのは、この一瞬の観測の結果です。しかし、実はここに名前が載るかどうかはそれ以前の教授会で決まっていました。教授会の決定も、入学試験直後の採点者の書き込んだ点数に従ったに過ぎません。人生が変わるかもしれない瞬間は、もっと以前に決まっていたことになります。本当の転換点はいつなのでしょうか?それがわからなくても、合格者名簿を観測するより前に客観的事実として合格者名簿のなかに自分の名前があった、と誰もが思っています。トランプのカードをめくって「ハートのエース」が出たら、めくる前からそのカードは「ハートのエース」だったと思うのが普通です。では、パソコンや携帯で「ソリティア」で遊ぶときはどうなのでしょうか。本当のカードゲームと同じようにカードはめくる前から決まっているのでしょうか?

*仏教は「世界は諸行無常である」と主張しますが、それは世界が確率的なためか、認識が確率的なためか、いずれなのでしょうか。