万緑の季節

万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男

(夏の野山が緑の草木に溢れる中、わが子に白い歯が生えはじめてきた。)

 「万緑」は王安石の「万緑叢中紅一点」が出典と言われ、この句によって「万緑」は夏の季語となりました。「万緑」は草田男の第三句集の題名にもなり、彼の生涯の代表句。我が子の歯が生えはじめるという発育ぶりと植物の緑を重ね合わせ、地上のすべての生命力が「万緑の中や」に謳歌されています。 

 さて、「万緑叢中一点紅 動人春色不須多」(「万緑叢中に紅一点あり。人を動かす春色は須らく多かるべからず)の方ですが、訳すなら、「一面の緑なす草むらに一つだけ赤い柘榴の花が咲いている。人を感動させる春の景色は多ければよいというわけではない」。王安石は色彩感覚に富んだ詩を残しましたが、冬は白梅、春は紅の石榴を歌っています。この句は王安石の詩「咏石榴詩」として有名です。中村草田男の俳句の「万緑」を王安石の詩句に由来するとしたのは本人だそうですが、どうして夏の季語になったのでしょうか。王安石の詩では柘榴の実ではなく、柘榴の紅い花が詠われ、柘榴の花は春から初夏に咲きます。柘榴の花は「花石榴」として春の季語ですが、「柘榴」は柘榴の実を指し、秋の季語になっています。新緑と深緑の間が万緑で、温暖化の中で春か夏か微妙です。「万緑と紅一点」は日中で微妙に異なるようです。でも、俳句に季語などなくても構わないとすれば、何の問題もないのですが…

 ついでながら、王安石のこの詩はよく使われてきた「紅一点」の出典でもあります。