自然種と人工種

 3月26日に「野生種と園芸種:あるいは、自然種と人工種(?)」として、キュウリグサワスレナグサキランソウとアシュガについて述べました。

 Natural kindとArtifactと言えば、哲学での伝統的な分類で、様々に議論されてきました。ここでは原種や野生種と園芸種や栽培種との違いを念頭に置いて、考えてみたいと思います。自然のものと人工的なものという区別は、現在はっきりしているように見えて、実はとても曖昧で、その度合いは増しています。園芸種や栽培種は原種や野生種から生み出されたものがほとんどです。かつては交配、今は遺伝子組み換えといった手段によって、私たちに好都合な生物が作り出されるのですが、野生種と園芸種の間の違いは実はほんの僅かに過ぎません。ですから、園芸種や栽培種が再び野生化することも、その逆も、いずれも稀なことではないのです。

 今多くの人が関心を持つAIを私たち人間のNI(Natural intelligence)と比べると、AIは園芸種や栽培種に似ていなくもありません。人間擬きの如くに理性的な活動を行うことができるAIは私たちの脳力を越えて、時には私たち以上の結果を出すことができます。

 スイセン、ツバキは原種のそれらに比べ、いかにも園芸種であることがわかります。これまでの私たちはもっぱら園芸に関心を集中させてきたのですが、園芸以外の役割を付与することによって、現在の想像を越えるスイセンやツバキの新種を生み出すことが十分に可能です。

 誰も野生種を本物、園芸種や栽培種を偽物とは思っていません。米や麦、薔薇や菊が偽物だと思う人はまずいないでしょう。でも、野生種から改良され、人に利するものが園芸種や栽培種だと考える人がほとんどの筈です。原種や野生種を真似た、模倣したものが、田や畑に植えられ、花壇を飾ってきました。

 さらに、真と偽、聖と俗、美と醜、善と悪といった、いわゆる二分法の様々な区別の中に原種や野生種、栽培種や園芸種を置くと、似たような言明をつくることができます。

 私たち人間はAIに対して原種であり、私たちと同じように考え判断する、私たちより優れた人工物がAIです。

 遺伝子の共通性という点では原種や野生種と栽培種、園芸種との区別はとても僅かです。構造的な相違というより、機能的、操作的な区別であることがはっきりわかります。つまり、野生と人工の違いはほんの僅かなのですが、私たちが利用するという点からは機能的な差が重要視されるのです。僅かであるからこそ、再度の野生化が簡単で、自然と人工の間は些細な差に過ぎず、その僅かな差こそ人工物の持つ特徴でもあるのです。工芸品や建築物と違って、園芸種や栽培種はずっと融通無碍で、何とも言えない私たちとの距離感を保っているのです。

 これは家畜にも言えます。ロボットと家畜、ペットと家畜の違いを考えるなら、栽培植物と園芸植物の微妙な違いも浮かび上がってきます。兎に角、自然種と人工種の間の差はとても融通無碍で、二つの境界の壁は低く、穴だらけなのです。