コブシの冬姿

 早春のコブシの花の白さは春の喜びを見事に表現しています。でも、その後のコブシの実の形状もとても印象的で、一つとして同じ形のものはありません。花と違って実は千差万別の形の妙を見せてくれます。その実は秋が深まり、冬が近づくと、画像のような姿になります。その形状に枯れ姿、老身だけでないものを感じる人もいれば、砂浜に打ち寄せられた枯れ木の姿を連想する人もいることでしょう。

 コブシの木を公平に眺めるとなれば、花や実だけでなく、幹、枝、葉も見なければなりませんし、1年を通じてその変化を見続けなければなりません。私たちが植物を見る仕方はとてもせっかちで、一面的です。一つの植物を公平に、客観的に見ることはほぼなく、特定の部分ばかりを大抵は偏見に基づいて見ています。

 その不公平な見方の際たる基準が「美醜」です。そして、美ばかりが注目され、醜は無視されることになります。ですから、時には美醜の基準を忘れて、コブシの姿を見ると、そこに新しい自然の姿を発見できるのかもしれません。

 コブシの名は果実の集合体が「拳」に似ていることに由来し、早春に白い花を咲かせ、葉が大きくて木陰を作りやすいため、湾岸地域でも街路樹や公園樹として利用されています。寒さの中でホッとするのがモクレン科の花芽で、見るだけで暖かさを感じてしまうのは私だけではないでしょう。既に小さな花芽がたくさん出始めています。コブシのグロテスクな実がまだ残る横で、ネコヤナギに似た花芽が出ています(画像)。

 コブシの冬姿を見ると、花芽が美を、枯れた実が醜を代表しているとみることがいかにも不自然で、私たちの一面的な判断なのだということがよくわかる気がするのです。