聖母マリアの四つの教義

 プロテスタント教会カトリック教会や正教会のようにマリアを特別視しないのが普通です。マリアはパウロヨハネらと同じ普通の人間で、特別な意味をもたず、人間イエスの母親であるとだけ理解されているからです。ところが、カトリック教会では母としてのマリアの地位に関心が集まりました。

 カトリック教会では、神の母である聖母マリアは原罪を犯すことなく、聖霊を身籠もり、イエス・キリストを生んだとされています。12月8日はマリアが原罪なしに生まれてきたとする教義「無原罪の御宿り」を祝う日です。マリア自身が身籠もったのは「受胎告知」のあった3月25日です。これは大天使ガブリエルのお告げによりマリアが精霊を身籠もったことを知る日です。カトリック教会内での聖母マリアには、神の母、処女懐胎、無原罪の御宿り、聖母被昇天の四つの教義が決定されています。このうち始めの二つは大昔に決定されたものですが、後の二つは比較的最近になってから決定されました。

 4世紀の初め、既にマリアは「神の母」と呼ばれていましたが、それについて神学的な論争が続いていました。肉体を悪とみなし、知識のみを通じて肉体からの救いを求めるグノーシス派、キリストの身体はこの世を超越し、マリアの胎内を素通りしてこの世に現れたと考えるバレンティヌス等々、マリアの母性を素直に認めない人たちが多数いました。コンスタンチノープルの司教ネストリウスは、マリアをイエスの母とは呼んでも、神の母とは呼んではならないと主張しました。

 教会は431年のエフェゾでの公会議でマリアを「神の母」と宣言。マリアが神の母であると言われるのは、イエスがマリアから生まれることによって、マリアと同じ人間性をもったからです。マリアは神である子に人間性を与えた母親です。ですから、マリアなくして神人イエス・キリストは存在しません。これが、マリアを信心する最も基本的な理由です(エル・グレコ「聖アンナのいる聖家族」(1590-95)ターベラ病院(トレド))。

 マリアは天使のお告げに対し、「私は男の人を知りませんのに(ルカ1:34)」と答えており、マタイ福音書もそのように語っています。マリアは聖霊によってイエスを宿したのです(エル・グレコ「受胎告知」(1590)大原美術館蔵)。イエス聖霊によってマリアの胎に宿ったのであり、その存在の始めから人間であるとともに、神でもあったのです。

 無原罪の御宿りの教義は、「マリアはイエスを宿した時に原罪が浄められた」という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」というものです。カトリック教会の原罪の本質は、人の誕生には超自然の神の恵みがないことにあります。キリストは原罪を取り除く者であり、マリアはキリストの救いにもっとも完全な形で与ったものです。ルカによる福音書1:28には原罪とは逆の状態、すなわち神がともにおられるという恵みがマリアに与えられていることが示されていて、マリアが存在の初めから神と一致していることが示されているのです。

 こうしたことから、マリアが存在の初めから神と一致し、生涯と死を通じて人の命の完成に至ったこと、人類に対するキリストの救いのわざのもっとも完全で典型的な現れであるとし、そのことを示す二つの教義が無原罪の御宿りと聖母の被昇天であるとされています。

 無原罪の御宿りの教義は、1854年にピウス9世によって決定されました。中世にはマリアがどの時点で原罪から洗われたかについて色々な意見がありましたが、教義決定されたことによってこの論争に決着がついた(エル・グレコ「無原罪の御宿り」(1608-13)サンタ・クルス美術館蔵)。

 「聖母マリアの被昇天」の教義はピウス12世によって1950年に決定されました。この教義も、無原罪の御宿りと同様、聖書には何も述べられておらず、マリアに対する敬虔な信心から生まれた教義です。19世紀以来、この信心を教義として決定して欲しいという要望が各地からローマに寄せられ、ピウス12世は世界中の司教に教義を決定することの是非についてのアンケートを行った末に、教義決定を下しました(エル・グレコ「聖母被昇天」(1577)シカゴ美術館蔵)。全ての信者は洗礼によって終末には身体と霊において復活するのですから、マリアの被昇天はその先取りに過ぎません。

 このように見てくると、彼女の聖母としての地位確立は信仰をもつ人すべての将来の地位の先取りであり、保証になっています。とはいえ、母と女性の違いは曖昧で、識別されていません。

*上記のエル・グレコの四つの作品はWebで簡単に観ることができます。聖母マリアの4つの教義を画像でも楽しんでください。聖母信仰が盛んなスペインの画家エル・グレコは聖母を主題とした多くの作品を残しています。