奇跡の中の奇跡:奇蹟            

  古典力学の世界が明解で、驚きのない世界であるのに対し、私たちが生活する世界は驚くことが次々と起こる世界です。古典的な物理世界と違って、私たち人間の世界は驚きだらけですが、それらの中でも奇跡の中の奇跡と言えば宗教の奇蹟でしょう。宗教そのものが二足歩行や言語の獲得と並んで、人類の運命を左右した奇蹟と言ってもいいでしょう。人間以外の生き物で宗教をもつ生き物はいません。その宗教は自らの存在という奇蹟の他に実に多くの奇蹟を生み出してきました。聖書も経典も奇蹟の集積ですが、中でも聖母マリアに関する奇蹟は世界中に溢れています。大乗仏教の世界は仏さまだらけですが、それにもましてヒンズー教の神様の数は限りなく、どの宗教世界も私たちの生活世界を遥かに超える奇蹟に満ち満ちています。

 カトリック教会には聖母マリア(「聖母」はカトリック教会での称号)が受胎の瞬間から原罪を免れていたとする教えがあります。これが「無原罪の御宿り」です。無原罪とは、マリアがその母アンナの胎内に宿ったとき、既に罪の汚れから守られていたことです。そのために、描かれる聖母はみな若い女性です。そして、聖母は死ぬのではなく、身体とともに昇天するとされ、これが「聖母被昇天」。このために聖母は若い身体とともに生き続け、これが私たちの世界への聖母の幾度もの出現の根拠となっています。

 最初の女性イブは不従順な処女でしたが、新約聖書の最初の女性マリアは従順な処女。4世紀になるとマリアと同じように処女のまま生きることを選ぶような女性がキリストの花嫁として修道生活を送るようになります。カトリック教会が分裂し、プロテスタント教会が誕生した1530年代には、イコノクライム(聖像破壊運動)が盛んに行われ、マリア像が取り壊される時期がありましたが、マリア崇拝が復活し、多くの聖母出現が報告されるようになります。

 その一例がメキシコでの1531年のグアダルーペの聖母出現。カトリック教会はグアダルーペの聖母に対する信仰がアステカのトナンツィン女神と関連したものだと考えました。聖母が出現した丘はトナンツィン女神の信仰の中心地でした。教会はインディオ達がキリスト教を受け入れやすくするために、古来の宗教とキリスト教との共存、融合を許容しました。16世紀末頃から17世紀の初めには、聖母によって重病人が回復する奇蹟がたびたび起こり、聖母への信仰は強まっていきます。そして17世紀には、この「褐色の肌の聖母」はあらゆる階層の人々の信仰の対象となりました。

 聖母マリアは日本を含め世界各地に出現し、メキシコのインディオには「グアダルーペの聖母(Nuestra Señora de Guadalupe)」、日本人の隠れキリシタンには「マリア観音」として人々に崇敬されてきました。